上海美術映画製作所
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種類 | 株式会社 |
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略称 | 上美影 |
本社所在地 |
中国 上海市徐匯区漕渓北路595号 |
設立 | 1957年 |
事業内容 | アニメーション制作 |
外部リンク | http://www.ani-sh.com/ |
上海美術映画製作所 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 上海美術電影製片廠 |
簡体字: | 上海美术电影制片厂 |
拼音: | Shànghaǐ Meǐshǜdiànyǐng Zhìpiànchàng |
発音: | シャンハイ メイシューティエンイン チーピェンチャン |
英文: | Shanghai Animation Film Studio |
上海美術映画製作所(シャンハイびじゅつえいがせいさくしょ)は、1957年に中華人民共和国の上海で創立された中国最大のアニメ制作会社。同国の企業グループである上海映画グループの傘下にあり、剪紙や水墨画などを用いた長篇および短篇アニメーション作品で知られている。
概要
[編集]1950年に日本人アニメーション作家・持永只仁が設立した上海映画撮影所美術映画組(上海電影製片廠美術片組)を母体とし、そこから独立する形で1957年に設立された[1]。
同社で最も有名な作品は1961年から1964年にかけて制作された『大暴れ孫悟空』であり、西遊記を題材に京劇のテイストを採り入れたこの作品は、ロカルノ国際映画祭やロンドン映画祭、カンヌ国際映画祭など海外の主要な映画祭に出品された他[2]、日本でも2000年代にサントリーのCMに採用されている[3]。
水墨画アニメで有名だったが、改革開放政策に伴い、1979年より東映動画(現・東映アニメーション)など日本のアニメ制作の下請けを始め、トレスマシンによる線画やアニメカラーなど日本のセルアニメの技術を導入した[4][5]。外国のアニメの下請けをする中国初のスタジオとして、モデルケースとなった。
日本のクリエーターとの関係では、1980年に手塚治虫や鈴木伸一など日本アニメーション協会会員が組織する文化交流団が訪問した[6]。水墨画アニメの『おたまじゃくしがお母さんを探す』(1960年)などに衝撃を受けた高畑勲は、1984年に宮崎駿とともに上海美術電影を訪問したが、改革開放政策の結果、会社は既に金のことしか頭になく、高畑と宮崎は非常に失望した[7]。特に1990年代以降はほとんど東映動画に下請けとして依存する状態になっている。
作品リスト
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
1960年代
[編集]- おたまじゃくしがお母さんを探す(原題:小蝌蚪找媽媽)
- 牧笛
- 大暴れ孫悟空(原題:大鬧天宮)
- メイトウナオとプーガオシン
1970年代
[編集]- ナーザの大暴れ(原題:哪吒鬧海)
1980年代
[編集]- 三人の和尚(原題:三個和尚)
- 鹿鈴
- しぎと烏貝が相争う(原題:鷸蚌相争)
- 蝴蝶の泉(原題:蝴蝶泉)
- 火童
- 鹿を救った少年(原題:夾子救鹿)
- 琴と少年(原題:山水情)
- 猿と満月(原題:猴子撈月)
- 西遊記 孫悟空対白骨婦人(原題:金猴降妖)
- ヒョウタン兄弟(原題:葫蘆兄弟)
- 黒猫警長
- アーファンティーの物語(原題:阿凡提的故事)
- ラオスオオカミの御馳走(原題:老狼請客)
- 嘘をつく子供(原題:狼来了)
1990年代
[編集]2000年代
[編集]2010年代
[編集]関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ “人形アニメーション作家・持永只仁と中国の絆~長女・伯子さんが語る(下)”. 中国国際放送局 (2017年9月13日). 2023年12月30日閲覧。
- ^ The Monkey King - Uproar in Heaven (1963) Awards & FestivalsBritish Film Institute、2023年12月31日閲覧。
- ^ “孫悟空の活躍を描くアニメーション映画 『モンキー・キング』に漂う異様な雰囲気の正体”. リアルサウンド (2023年8月22日). 2023年12月31日閲覧。
- ^ “中国动漫外包流变:全球最重要动画加工基地”. 广州市服务外包公共服务平台. (2017年12月20日) 2018年3月6日閲覧。
- ^ “第十六章美术电影”. 上海市地方志办公室 2018年3月6日閲覧。
- ^ “《ドラえもん》の中でのキャラクター「小池さん」のモデル·鈴木伸一氏が世代を継ぐ中日友好に期待 (2)”. 人民網. (2019年8月1日) 2024年6月23日閲覧。
- ^ 创造了《天空之城》的日本动画大师高畑勋逝世 与宫崎骏“亦敌亦友” - BBC News 中文