コンテンツにスキップ

上村精之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上村 精之助(かみむら[1] せいのすけ、1853年12月1日(嘉永6年11月1日[2])- 1929年昭和4年)2月1日[3])は、明治から大正期の農業経営者政治家衆議院議員鹿児島県肝属郡花岡村長。

経歴

[編集]

薩摩国鹿児島郡鹿児島城下(現鹿児島県[3]鹿児島市[1][4][5])で生まれた。漢学を修めた[4]海軍兵学校大阪英語学校で学んだ[3][4][5]

1881年(明治14年)犬童英輔らと博愛社を結成し[5]、県下各地で演説会を催した[5]。三州社が結成され博愛社はこれに合同した[5]九州改進党に加わらなかったが、鹿児島同志会が結成される加入して委員となる[5]

その後、肝属郡花岡村(現鹿屋市花岡)に移り[5]農業を営み[1][3][4]、1887年(明治20年)8月、鹿児島県会議員に選出された[1][3][5]。また、肝属郡会議員、同参事会員にも在任した[3][4]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(鹿児島県郡部、立憲政友会)では次点で落選したが[6]、1903年(明治36年)3月の第8回総選挙(鹿児島県郡部、立憲政友会)では当選し[5][6]、衆議院議員に1期在任した[3][4][5]

1918年(大正7年)第4代花岡村長に就任し[1][3][5]、古江築港の推進、村立商業実務学校の設立などに尽力した[1][5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『鹿児島県姓氏家系大辞典』356-357頁。
  2. ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第十八回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1903年、29頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』89頁。
  4. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』68頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『郷土人系 上』79頁。
  6. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』38頁。

参考文献

[編集]
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会編著『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。