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上宮遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上宮遺跡 掘立柱建物群
上宮遺跡の位置(奈良県内)
上宮遺跡
上宮遺跡
上宮遺跡の位置

上宮遺跡(かみやいせき)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南にある宮殿遺跡。史跡指定はされていない。

第48代称徳天皇行宮の「飽波宮」に比定する説が有力視される。

概要

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奈良県西部、斑鳩町東部の平坦地に位置する。1991年度(平成3年度)に歴史公園整備事業に伴う発掘調査が実施されている[1]

発掘調査では飛鳥時代奈良時代の遺構が検出されている[1]。飛鳥時代の遺構としては井戸・溝があり、出土品としては7世紀前半頃の土器類のほか、瓦(八葉素弁蓮華文軒丸瓦)・塼・凝灰岩切石がある[1]。また奈良時代の遺構としては掘立柱建物群があり、2時期に分かれる[1]。建物群の中心建物(前殿)は東西7間・南北5間の二面廂の大型建物1棟であり、その北側にやや小型の建物1棟が、東側に南北棟の建物1棟が配されるほか、東側に総柱建物が所在する[1]。出土品としては木簡・墨書土器や、多量の平城京跡出土瓦の同笵瓦がある[1]

この上宮遺跡付近では「上宮」の小字名が残るほか、南の成福寺が「葦垣宮」の扁額を掲げ葦垣宮の伝承を残し、付近には横大路・太子道が通ることから、上宮遺跡の建物群については『続日本紀』に神護景雲元年(767年)に称徳天皇が行幸したと見える行宮の「飽波宮(あくなみのみや)」に比定する説が有力視される[1]。また『大安寺伽藍縁起』に聖徳太子が晩年を過ごしたと見える「飽波葦垣宮(あくなみあしがきのみや)」についても、上宮遺跡付近に所在した可能性が指摘される[1][2]

脚注

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参考文献

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  • 史跡説明板
  • 「上宮遺跡」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名 刊行後版(ジャパンナレッジ収録)』平凡社、2006年。ISBN 4582490301 

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯34度36分37.35秒 東経135度44分47.70秒 / 北緯34.6103750度 東経135.7465833度 / 34.6103750; 135.7465833