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三遊亭萬次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三遊亭さんゆうてい 萬次郎まんじろう
三遊亭(さんゆうてい) 萬次郎(まんじろう)
三遊亭萬次郎定紋「高崎扇」
本名 貝川かいかわ 子竜しりょう
生年月日 (2002-01-21) 2002年1月21日(22歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県
師匠 六代目三遊亭円楽
四代目三遊亭萬橘
名跡 1. 三遊亭楽太
(2020年 - 2024年)
2. 三遊亭萬次郎
(2024年 - )
出囃子 勧進帳の臆病のいたり
活動期間 2020年 -
所属 五代目圓楽一門会

三遊亭 萬次郎(さんゆうてい まんじろう、2002年1月21日 - )は、五代目圓楽一門会に所属する落語家兵庫県姫路市白浜町出身。出囃子は『勧進帳の臆病のいたり』。

来歴

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中学2年の頃に「笑点」で落語に触れ、You tubeで六代目三遊亭円楽六代目三遊亭圓生を見てとりこになった[1]兵庫県立網干高等学校の卒業を間近に控えた2020年1月1日に六代目円楽に入門、同年3月に楽屋入り。 前座名「楽太」。円楽にとっては最後の直弟子となった。

2022年9月に師匠の円楽が死去したため、2023年1月、四代目三遊亭萬橘門下に移籍[2]

2023年2月8日、前座では異例となる企画提案を行った「円楽師匠の誕生日落語会~弟子と仲間に囲まれて一門の再出発~」(深川江戸資料館)が開催され、自らは開口一番として出演した[3]

2024年4月1日二ツ目に昇進し「萬次郎」と改名。萬次郎の名は「これまでだれも付けていない名前で、いちから落語家人生を歩め」と萬橘が命名した[1]

芸歴

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人物

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  • 六代目円楽門下であったタレント伊集院光と親交があり、前述の落語会にも自ら出演依頼を行った[注 1][3]
  • 六代目円楽が晩年に脳梗塞を発症して以降、兄弟子達と共に車椅子での移動などの身の回りの介助を行っていた[注 2][4]
  • 円楽から口伝で教わった落語は5席のみだが、「(真打ちがかける噺を)いずれ演じられるようになれ」と、舞台袖で高座を見るように指示された[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 2022年11月21日放送の「深夜の馬鹿力」における伊集院の発言より。
  2. ^ 2022年10月10日放送の『笑点「ありがとう!円楽師匠追悼特番」』において国立演芸場での復帰公演に向けたリハビリや高座での介助を兄弟子の三遊亭楽㐂三遊亭楽花山とともに行う様子が放映されている。

出典

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  1. ^ a b c 「二ツ目昇進 活躍誓う」読売新聞2024年6月26日付朝刊地域面(播磨姫路)
  2. ^ 三遊亭円楽さん追善興行が2月、両国寄席で開催 最後の弟子・楽太は萬橘門下へ「感謝の気持ちでいっぱいです」”. スポーツ報知 (2023年1月2日). 2024年4月1日閲覧。
  3. ^ a b 円楽さん最後の弟子・楽太が誕生日落語会をプロデュース 伊集院光ら弟子が集結し笑いで再出発”. スポーツ報知 (2023年2月10日). 2024年4月1日閲覧。
  4. ^ 三遊亭円楽さんが車いす立つ時は体を密着…最後の弟子・三遊亭楽太「師匠を愛してます」”. スポーツ報知 (2022年12月30日). 2024年4月1日閲覧。

外部リンク

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