三遊亭とん楽
表示
三ツ組橘は、圓楽一門の定紋である。 | |
本名 | |
---|---|
生年月日 | 1957年8月20日 |
没年月日 | 2024年9月 |
出身地 | 日本・千葉県柏市 |
死没地 | 日本・千葉県我孫子市 |
師匠 | 五代目三遊亭圓楽 |
出囃子 | 檄!帝国華撃団 |
活動期間 | 1984年 - 2024年 |
所属 | 大日本落語すみれ会→落語円楽党→落語ベアーズ→円楽一門会 |
公式サイト | 三遊亭とん楽公式ホームページ |
備考 | |
円楽一門会会計責任者 | |
三遊亭 とん楽(さんゆうてい とんらく、本名:海老原 守、1957年8月20日 - 2024年9月)は、千葉県柏市出身、我孫子市在住の落語家、ミュージカルアクター。円楽一門会所属。出囃子は『檄!帝国華撃団』(著作権者公認)、以前は『三匹の子豚』。円楽一門会の会計責任者。
来歴
[編集]1976年(昭和51年)3月、千葉県立東葛飾高等学校卒業。フリーターを経験したのち落語家に転進。高校の時に聞いた五代目圓楽の「中村仲蔵」に感動して落語家を志した[1]。
1990年(平成2年)、落語家として芝浦工業大学柏高等学校の総合学習「落語を通じて学ぶ江戸文化」講座特別講師(1993年まで)。
2024年9月末頃、千葉県我孫子市の自宅で死去した[2][3]。67歳没。訃報は同年10月8日に円楽一門会より公表された[4]。
兄弟子の三遊亭楽麻呂は、サンケイスポーツの取材に、独身のとん楽が10月5日に出演予定だった両国寄席を無断休演したため警察に連絡、6日午前2時頃に自宅で死去していたのが発見されたという連絡があったと答えた。亡くなったのは9月末と推測される。8日に病死であると確認され、身内で密葬が執り行われた。
とん楽がトリを務めることが予定されていた11月3日の両国寄席・7日の亀戸梅屋敷寄席は、急きょ追悼の会として開催された[5]。
芸歴
[編集]- 1984年(昭和59年) - 4月、5代目三遊亭圓楽に入門。
- 1986年(昭和61年) - 3月、二つ目昇進。
- 1992年(平成 4年) - 4月、真打昇進。
- 1993年(平成 5年) - ミュージカル「ファーブルの昆虫記」(野沢那智演出)出演。
- 1994年(平成 6年) - 同、東京芸術劇場公演。
- 1996年(平成 8年) - 同、青山劇場公演。
- 1997年(平成 9年) - 4月、地域寄席「柏わいわい亭」スタート(休席中)。
- 1998年(平成10年) - 4月、地域寄席「我孫子わいわい亭」(第三日曜)スタート。
- 1999年(平成11年) - 4月、地域寄席「野田わいわい亭」(第三水曜)スタート。
- 2001年(平成13年) - ミュージカル「サクラ大戦歌謡ショウ」出演。
執筆活動
[編集]趣味・特技
[編集]趣味
[編集]資格
[編集]- 危険物取扱者(乙種4類)
出典
[編集]- ^ 畠山健二『落語 34号 東京・上方1997年落語家名鑑』弘文出版、1997年6月20日、48頁。ISBN 4875202091。
- ^ 「三遊亭とん楽さん死去 千葉県内の自宅で病死 楽麻呂「一門として追悼落語会を考えています」」『サンスポ』2024年10月8日。2024年10月8日閲覧。
- ^ 「落語家の三遊亭とん楽さんが67歳で死去 9月末ごろに病死か」『産経ニュース』2024年10月8日。2024年10月8日閲覧。
- ^ “落語家の三遊亭とん楽さん 死去 67歳 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex (2024年10月8日). 2024年10月8日閲覧。
- ^ 三遊亭好の助 (2024年11月1日). “急ですが、急遽ですが 三遊亭とん楽師匠の偲ぶ会を 11月3日 両国寄席 11月7日 亀戸梅屋敷寄席 で行います”. X. 2024年11月2日閲覧。
関連事項
[編集]外部リンク
[編集]- 三遊亭とん楽 - 五代目円楽一門会 両国寄席
- 三遊亭とん楽 (@5p11zjtx1f8j1yn) - X(旧Twitter)
- 星企画ウェブサイト > 噺家名鑑 > 三遊亭とん楽