三角保之
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三角 保之 みすみ やすゆき | |
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生年月日 | 1940年10月23日 |
出生地 | 日本 熊本県熊本市 |
没年月日 | 2021年7月8日(80歳没) |
死没地 | 日本 熊本県熊本市南区 |
出身校 | 芝浦工業大学 |
前職 | 熊本県職員 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 |
旭日中綬章 正五位 |
第27・28代 熊本市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1994年 - 2002年 |
熊本県議会議員 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1979年 - 1994年 |
三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月23日[1] - 2021年(令和3年)7月8日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。
人物・略歴
[編集]- 熊本市出身[2]。熊本県立済々黌高等学校卒業[2]。
- 1963年(昭和38年) - 芝浦工業大学電気工学科卒業[3]。
- 大学卒業後、有明製鉄入社[3]
- 1966年(昭和41年) - 熊本県庁入庁[3]。
- 1978年(昭和53年) - 熊本県庁退職[3]。
- 1979年(昭和54年) - 熊本県議会議員(以後4期務める)[3]。
- 1991年(平成3年) - 自由民主党熊本県連政調会長(1995年まで)[3]。
- 1994年(平成6年) - 熊本市長選挙初当選[3]。
- 1998年(平成10年) - 九州ハンドボール協会会長(2002年まで)[3]。
- 2002年(平成14年)11月1日 - 第24回全国菓子大博覧会副大会長。
- 2016年(平成28年) - 春の叙勲で旭日中綬章を受章。
- 2021年(令和3年)7月8日午前9時21分、心不全のため熊本市南区の自宅で死去、80歳没[5]。死没日をもって正五位に叙される[6]。
役職
[編集]熊本県体育協会顧問[2]、熊本県障害者スポーツ・文化協会会長[2]、濟々黌上塚周平顕彰会会長[7]、熊本県柔道整復師連盟顧問、芝浦工業大学校友会熊本支部長[2]、九州・トルコ協会会長[3]、熊本城顕彰会会長[3]、熊本県神社庁総代会副会長[3]を務めた。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、415頁。
- ^ a b c d e 支部長に三角保之元熊本市長 芝工大校友会県支部 調子部長は顧問に(くまもと経済ONLINE「週刊経済」2010年5月10日発行、2013年8月17日閲覧)
- ^ a b c d e f g h i j k 会長挨拶(九州・トルコ協会ウェブサイト、2013年8月17日閲覧)
- ^ “熊本市長に幸山氏 共産党応援 自公保現職破る”. しんぶん赤旗. (2002年11月12日) 2013年8月17日閲覧。
- ^ “元熊本市長、三角保之さん死去 80歳 熊本城「一口城主」制度を発案”. 熊本日日新聞. (2021年7月8日). オリジナルの2021年7月8日時点におけるアーカイブ。 2022年2月4日閲覧。
- ^ 『官報』第554号10頁 令和3年8月16日号
- ^ 地域レベルでの日伯新時代の幕開け=上塚周平の里・熊本城南町で=100周年祝う式典=濟々黌校の後輩らが主催(ニッケイ新聞2008年7月23日付、2013年8月17日閲覧)
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