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三条実治 (南北朝時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
三条実治
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代
生誕 正応5年(1292年
死没 文和2年/正平8年5月17日1353年6月18日
官位 従二位権中納言
主君 伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇後醍醐天皇光厳天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇
氏族 三条家
父母 父:正親町三条実仲、養父:三条公明
兄弟 公明実治
治子公為[1]
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三条 実治(さんじょう さねはる)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿民部卿正親町三条実仲の子。官位従二位権中納言。 兄・公明の子として家を継ぐ。

伏見宮家の外戚

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実治は兄・公明と並んで当初は後醍醐天皇の側近として働いていた。しかし「建武の新政」が頓挫してからは北朝に仕え、娘・治子伏見宮栄仁親王の妃となって治仁王と後崇光院貞成親王を生んだ。

正親町三条家では公秀崇光天皇後光厳天皇の外祖父となったが、やがて後光厳天皇の子孫は称光天皇で絶えてしまうのである。後小松院の猶子として即位した後花園天皇は後崇光院貞成親王の息男であるが、女系から見ると庶流とは言え正親町三条家一門の血脈が続くことになるのである。

経歴

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以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

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脚注

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  1. ^ 中川三位と称された
  2. ^ 延暦寺講堂供養での行事の賞。
  3. ^ この年の内に信濃権守を止めて造東大寺長官を兼ねたか。
  4. ^ 前日より中風の発作があったという。

参考文献

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  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 嘉暦3年(1328年)に実治が参議となった時以降の記事。
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「三条実治」および「正親町三条公秀」の項。
  • 横井 清、『室町時代の一皇族の生涯 『看聞日記』の世界』、講談社学術文庫