三宅康盛
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長5年(1600年) |
死没 | 明暦3年12月29日(1658年2月1日) |
別名 | 大膳(通称) |
戒名 | 清巌院殿源室義曹大居士 |
墓所 | 愛知県豊田市梅坪町の霊巌寺 |
官位 | 従五位下、大膳亮 |
幕府 | 江戸幕府 大坂加番 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 伊勢亀山藩主→三河挙母藩主 |
氏族 | 三宅氏 |
父母 | 父:三宅康信、母:戸田一西の娘 |
兄弟 | 康盛、康重 |
妻 | 松子(内藤政長の娘) |
子 | 康勝、娘(伊東祐豊継々室)、娘(内藤忠吉正室) |
三宅 康盛(みやけ やすもり)は、伊勢亀山藩第2代藩主、のち三河挙母藩主。田原藩三宅家3代。
生涯
[編集]慶長5年(1600年)、挙母藩第2代藩主(後に亀山藩主)三宅康信の長男として生まれる。父と共に徳川家康に仕え、慶長19年(1614年)からの大坂の陣では駿府城や淀城の守備を務めた。寛永3年(1626年)、大御所・徳川秀忠と第3代将軍・徳川家光の上洛に従い、8月に従五位下・大膳亮に叙位・任官する。寛永9年(1632年)、父の死去により家督を継いで亀山藩主となる。
寛永13年(1636年)5月18日、故郷の三河挙母に移封される。寛永16年(1639年)に大坂城在番を務めた(慶安3年(1650年)と承応3年(1654年)も)。寛永20年(1643年)には駿府城在番を務めた。
明暦3年(1657年)12月29日に江戸藩邸で死去した。享年58。跡を長男の康勝が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 内藤松子、貞松院 ー 内藤政長の娘
子女