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三好市立檪生小学校

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三好市立檪生小学校
地図北緯33度53分35.3秒 東経133度48分55.8秒 / 北緯33.893139度 東経133.815500度 / 33.893139; 133.815500座標: 北緯33度53分35.3秒 東経133度48分55.8秒 / 北緯33.893139度 東経133.815500度 / 33.893139; 133.815500
国公私立の別 公立学校
設置者 三好市
校訓 明るく 強く 正しく
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B136220800161 ウィキデータを編集
所在地 778-0101
徳島県三好市西祖谷山村一宇262番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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三好市立檪生小学校(みよししりつ いちうしょうがっこう)は、徳島県三好市西祖谷山村一宇にある公立小学校

基礎データ

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全校児童数
  • 9人 (令和2年5月1日現在)

概要

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旧・西祖谷山村には他にも三好市立吾橋小学校がある。三好市立善徳小学校三好市立西岡小学校もあったが、休校のため、本校に編入された。卒業後は三好市立西祖谷中学校へ進学する。

沿革

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江戸時代末期から戦前

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  • 1858年(安政5年) - 一宇寺子屋開設。[1]
  • 1874年 (明治7年)- 「一宇小学校」と改め、民家と平崎神社を借り校舎として利用する。6月「一宇簡易小学校」と改称。
  • 1881年 (明治14年)- 祖谷川の対岸にあった「戸ノ谷分教場」を「戸ノ谷小学校」と改称。
  • 1892年 (明治25年)- 平崎神社境内に新校舎を建築。
  • 1893年 (明治26年)- 「一宇尋常小学校」と改称。
  • 1908年 (明治41年)- 現在地に校舎を新築,職員室と教員住宅も設備される。
  • 1909年 (明治42年)- 9月、「櫟生尋常高等小学校」と改名。
  • 1910年 (明治43年)- 「戸ノ谷分校」廃止。
  • 1914年 (大正3年)- 6月、暴風雨で校舎倒壊。
  • 1915年 (大正4年)- 4月、校舎再築。 尋常科126名、就学率86.75%に。
  • 1925年 (大正14年)- 尋常科285名で、就学率100%となる。
  • 1927年 (昭和2年)- 児童数増加に伴い、4教室と職員室を増築。
  • 1940年(昭和15年)- 2教室増築。
  • 1941年(昭和16年)- 美馬郡西祖谷山村「櫟生国民学校」となる 8学級268名。

終戦後から現在

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  • 1947年 (昭和22年)- 櫟生小学校、櫟生中学校と校名改称、校長は兼務。
  • 1948年 (昭和23年)- 校長が選任となり、それぞれ独立。
  • 1950年 (昭和25年)- 県行政区画変更により、三好郡西祖谷山村「櫟生小学校」と校名改称。
  • 1958年 (昭和33年)- 新校旗樹立式挙行、校章制定。
  • 1959年 (昭和34年)- 新校舎完成。
  • 1960年 (昭和35年)- 児童数の増加がはげしく、12学級372名となる。
  • 1973年 (昭和48年)- 校舎内部塗装。
  • 1987年 (昭和62年)- 新校舎・屋内運動場(現在の校舎・体育館)完成。
  • 1991年 (平成3年)- 運動場にフェンス取り付け。
  • 1999年 (平成11年)- 前庭にログハウス完成。
  • 2005年 (平成17年)- 全国へき地教育研究大会会場校となる。
  • 2006年 (平成18年)- 町村合併のため三好市立檪生小学校となる。
  • 2010年 (平成22年)- 善徳小学校、西岡小学校休校に伴い、両校児童が転入。
  • 2012年 (平成24年)- 檪生放課後子ども教室(徳島県教育委員会表彰)。
  • 2013年 (平成25年)- 檪生放課後子ども教室(文部科学省表彰) 三好市学校ICT環境整備事業(パソコン入れ替え・無線LAN)。
  • 2014年 (平成26年)- 二階男子トイレ・三階女子トイレのそれぞれ一箇所洋式トイレに改修、デジタル教科書・電子黒板設置。
  • 2015年 (平成27年)- 校務支援システム開始、「小中一貫教育(徳島モデル)推進事業」指定。

関連学校

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通学区域が隣接している学校

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以下の学校と隣接しているかは不明。

脚注

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  1. ^ 檪生小学校の沿革史”. November 10, 2017閲覧。

関連項目

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外部リンク

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