三好可正
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 永禄11年(1568年) |
死没 | 寛永11年7月5日(1634年7月29日) |
別名 | 久三郎 |
戒名 | 善久 |
墓所 | 小石川無量院 |
官位 | 従五位下越後守 |
幕府 | 江戸幕府 書院番 |
主君 | 徳川家康、秀忠、家光 |
氏族 | 三好氏 |
父母 | 三好為三 |
兄弟 | 可正、不破壱岐守室、篠山資友室 |
子 | 長富、菅沼定芳室、勝正 |
三好 可正(みよし よしまさ)は、江戸時代前期の武将、旗本。三好為三の子。
生涯
[編集]慶長年間に給仕番として徳川家康に仕え、父とは別に1,000石を与えられる。慶長5年(1600年)父とともに関ヶ原の戦いに従軍。慶長8年(1603年)家康の将軍宣下参内に従い、従五位下越後守に叙される。慶長19年(1614年)からの大坂の陣には父とともに両役に従軍。元和5年(1619年)大和国山辺郡丹後庄(現大和郡山市)[1]、添下郡守目堂(現天理市)[2]、超昇寺(現・奈良市)[3]に移封。寛永3年(1626年)徳川秀忠・家光の上洛に従う。寛永8年(1631年)父が96歳で死去したが、家督は子の勝任が継承した。寛永11年(1634年)没。家督は次男の勝正が継承した。なお娘が為三の養女として丹波亀山藩主菅沼定芳に嫁いでおり、交代寄合菅沼氏初代菅沼定実を生んでいる。
脚注
[編集]- ^ 池田 & 横田 1981, 丹後庄村.
- ^ 池田 & 横田 1981, 守目堂村.
- ^ 池田 & 横田 1981, 超昇寺村.