三和完児
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三和完児 | |
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生誕 | 1926年10月4日(98歳) |
出身地 | 日本. 神奈川県横浜市 |
職業 | 音楽家/タレント |
三和 完児(みわ かんじ、1926年(大正15年)10月4日 - )はタレント、作詞・作曲家、音楽評論家。 本名は松岡寿夫(まつおか かずお)。 ペンネーム:佃清風(つくだ せいふう)。
来歴・人物
[編集]「司会の神様」の異名を持っていた。
1945年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を卒業。
1946年東邦楽劇団バンドマスターを経て、美空ひばり、江利チエミ、藤山一郎等の専属司会者として活動を始める。
1953年最初の民放テレビ「私も出まショー」のレギュラー司会となる。
1955年司会、タレントの傍ら、日本コロムビアレコードの専属作曲家となり、数々の作品を発表。
1961年よりフジテレビ系列の『キンカン素人民謡名人戦』で司会を務める。歴代司会者の中でも最長期間で「番組の顔」的存在となる、テレビ、ラジオなど多くのレギュラー番組をもち、タレント・ボードビリアンとして活動する一方、作曲家としても作品を残している。
1963年芸能/番組制作プロダクション「三広企画」を設立、代表を務める。
1978年タレント活動を引退。音楽活動を中心に後進の指導に専念する。
次男はイベント・舞台演出家 松岡宣幸。
作品(作曲)
[編集]- 「明日を信じよう」(唄:山田太郎)
- 「夫婦ちょうちん」(唄:畠山みどり)
- 「たまらないんだ逢いたくて」(唄:和田浩治)
- 「辛い別れさ」(唄:北原謙二)
- 「恋慕流し」(唄:北島三郎)
- 「田舎教師」/「癪な雨だぜ」/「銀座のシイチョウ野郎」/「こんな恋だってあるんだぜ」/「笑顔だよお加代ちゃん 」/「銀座のシイチョウ野郎」/ 「こんな恋だってあるんだぜ」/他(唄:守屋浩)
- 「アキラのからくり」(唄:小林旭)
- 「裏窓の流れ星」/「夜霧はラベンダー」(唄:コロムビア・ローズ)
- 「湯の町姉妹」(唄:こまどり姉妹)
- 「銀座は不思議な街」(唄:若山彰)
- 「シオンの花」(唄:小宮恵子)
- 「どっかでリズム狂てる」/「負け惜しみの街角」(唄:佐々木功) 他、民謡アレンジ等多数。
出演及びレギュラー番組
[編集]- 「歌の饗宴」(フジテレビ)
- 「キンカン素人民謡名人戦」(フジテレビ)
- 「歌のスターレット」(日本テレビ)
- 「あなたもメイ優」(ニッポン放送)
- 「オールスター・パレード」」(ニッポン放送)
- 「日曜演芸館」(ニッポン放送)
- 「スター誕生」(ニッポン放送)
- 「パーキング・コーナー」(TBSラジオ)
- 映画「暗黒の旅券」(監督:鈴木清順)
- 東芝日曜劇場「パーキングコーナー」(TBS)
- 「ナゴヤ・ユーモヤ劇場」(CBC)
- 「演芸名人クラブ」(ラジオ福島)
- 「モダン寄席 サラリーマン心得帳」(関西テレビ)
- 「大旦那と若旦那」(フジテレビ)
- 「サラリーマン心得帖」(フジテレビ)
- 「日本の祭り」(フジテレビ)他
声優
[編集]- 「スケルトンの大笑劇場」(毎日放送)
執筆
[編集]- 「グランド現代百科事典/民謡部門」(1972年/学研)
- 「東洋楽理序説」