七ノ坪遺跡
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所在地 | 大阪府泉大津市北豊中町1-2丁目など[1] |
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種類 | 遺跡 |
歴史 | |
時代 | 弥生時代 |
七ノ坪遺跡 (しちのつぼいせき) とは、泉大津市に位置する、弥生時代から中世にわたる複合遺跡である[1][2]。
概要
[編集]1957年、大阪府立泉大津高等学校北門前の水田、通称「七ノ坪」で地下げ工事が行われた際、同校地歴部部員によって土師器が採集された[3]。 これが遺跡発見の契機となり、「七ノ坪遺跡」と名付けられる[3]。遺跡の詳細については不明のままだったが、1968年以降、何度か調査が行われ、複合遺跡であることが確認された[3]。
七ノ坪遺跡の南限および南西限は、泉大津高等学校であるとされる[4]。また、同遺跡の奈良時代以降の堆積深は75-80センチメートルであると指摘されている[5]。なお、七ノ坪遺跡のある和泉地域の平野部は気候も温暖で、降水量もそこまで多くないことから、生活の場として早くから開けていたという指摘もある[6]。
出土遺物
[編集]遺構
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 坂口, 昌男、貴志, 正則、楠山, 享司『七ノ坪遺跡発掘調査概要』 7巻大阪府泉大津市東雲町9-12〈泉大津市文化財調査概要〉、1982年3月31日(原著1982年3月31日)。doi:10.24484/sitereports.5277。 NCID BN0314211X 。