一丸デパート
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一丸デパート(いちまるデパート)は、かつて大分県大分市の竹町商店街(1994年にガレリア竹町に改称)に存在した百貨店である。現在はガレリア竹町で服飾販売店「いちまる」として営業している。
概要
[編集]江戸時代から続く老舗の呉服店であったが、明治時代に入ると洋品店に転業。さらに昭和時代に入ると、4代目一丸伍兵衛が資本金35万円で株式会社一丸を設立し、1934年(昭和9年)10月に大分県初の百貨店となる一丸デパートを開店した[1]。
開店当初の一丸デパートは木骨二重防火コンクリート構造4階建で、エレベータが1基設置されていた[2]。各階の売り場は以下の通りであった[1]。
- 屋上 - 子供用娯楽施設
- 4階 - 食堂・催事場
- 3階 - 洋服・玩具・家具・履物
- 2階 - 婦人服・子供服・呉服
- 1階 - 食料品・文房具・化粧品
一丸デパートは翌1935年(昭和10年)10月に開店したトキハと激しい競争を繰り広げた。太平洋戦争が始まると、経済統制の元で一丸デパートとトキハは合併を指示されたが、一丸デパートはこれを拒否して1943年(昭和18年)9月に廃業。建物は1945年(昭和20年)7月の大分空襲で全焼した[1]。
戦後、服飾販売店「いちまる」として竹町商店街にて営業を再開し、現在は「いちまる」及び「モードスクエアいちまる」として営業している。
沿革
[編集]- 1692年(元禄5年) - 一丸呉服店として創業。
- 1873年(明治5年) - 洋品・雑貨店へと転換。
- 1934年(昭和9年)10月 - 大分市竹町に一丸デパート開店。
- 1937年(昭和12年) - 増築。
- 1943年(昭和18年)3月 - 大分市の百貨店トキハとの合併を発表。新店名は「ヤマトデパート」。
- 1943年(昭和18年)9月 - 一丸の意向で合併が白紙となり、一丸デパート廃業。商品と従業員は全てトキハへ、建物は海軍航空廠へと移る。
- 1945年(昭和20年)7月 - 大分空襲により一丸デパート旧本館焼失。
- 1946年(昭和21年) - 服飾販売店「いちまる」として竹町商店街にて営業再開。
脚注
[編集]- ^ a b c “デパート 商店街とデパートの競争”. 2002年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月4日閲覧。 大分歴史事典(大分放送)
- ^ 市報おおいた 平成23年7月1日号 (PDF)
外部リンク
[編集]- いちまる - アイぶんぶんひろば