ヴェクサン
ヴェクサン(Vexin)は、フランス北西部の歴史的な地方名。おおよその範囲として、東西はポントワーズとロミー=シュル=アンデル、南北はオヌイユからヴェルノン近くのセーヌ川までである。
現在の地方行政区画に当てはめると、イル=ド=フランス地域圏の2つの県、ヴァル=ドワーズ県とイヴリーヌ県と、ピカルディー地域圏のオワーズ県とにまたがる。上記がいわゆるヴェクサン・フランセ(Vexin français)である。オート=ノルマンディー地域圏のウール県とセーヌ=マリティーム県にまたがる部分はヴェクサン・ノルマン(Vexin normand)と呼ばれる。
ヴェクサンは本質的にイル=ド=フランスとノルマンディーにまたがる穀倉地帯である。
歴史
[編集]ヴェクサンはかつてVeuguessinと呼ばれていた。ラテン語のVeliocassinusはガリア系の部族名ヴェリオカス族(fr:Véliocasses)から派生している。彼らは現在のヴェクサンの地を本拠としていた。ガロ=ローマ時代にこの地に設置されたパグス(fr)であるウェリオカシヌス(Veliocassinus)が、ペイ・デュ・ヴェクサン(pays du Vexin)の前身となった。
911年、シャルル3世はヴァイキングの首長ロロに対して領地を放棄し、この地がノルマンディー公国となった。ヴェクサンは、セーヌ川の小さな支流エプト川によって二分された。今日、ヴェクサン西側がヴェクサン・ノルマン、東側がヴェクサン・フランセと呼ばれるのはこのためである。
ヴェクサン・フランセは常にルーアン司教、その後はノルマンディー大司教座にフランス革命まで依存することとなった。確かに、司教座の分類と境界はローマの管理範囲をそっくり真似ていたが、それ自体がガリア人の境界を真似たものだった。ルーアンはかつてヴェリオカスのチウィタス(Civitas)であり、言い換えれば「ヴェクサンの首都」として当然、キリスト教化すると首府司教座が置かれた。
フィンセント・ファン・ゴッホ、クロード・モネはヴェクサンの小麦畑を作品中に描いている。