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ヴィーンヌィツャ市電

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィーンヌィツャ市電
ヴィーンヌィツャ市電の主力車両・ミラージュ(ドイツ語版)(2010年撮影)
ヴィーンヌィツャ市電の主力車両・ミラージュドイツ語版2010年撮影)
基本情報
ウクライナの旗ウクライナ
所在地 ヴィーンヌィツャ
種類 路面電車[1][2]
路線網 6系統(2021年現在)[2]
開業 1913年[3][4]
運営者 ヴィーンヌィツャ交通公社[5][6]
路線諸元
路線距離 21 km[1]
軌間 1,000 mm[1]
電化区間 全区間
路線図
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ヴィーンヌィツャ市電ウクライナ語: Вінницький трамвай)は、ウクライナの都市・ヴィーンヌィツャに路線網を有する路面電車2021年現在はトロリーバスヴィーンヌィツャ・トロリーバスウクライナ語版)や路線バスと共に、ヴィーンヌィツャ市が運営するヴィーンヌィツャ交通公社(Вінницька транспортна компанія)によって運営されている[注釈 1][5]

概要

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歴史

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ヴィーンヌィツャ市内に路面電車を建設する動きは既に19世紀末には存在していたが、設立会社の破産を始めとした要因で頓挫を繰り返し、複数の資産家や企業とヴィーンヌィツャ市議会との間の協議が行われた末、1912年にロシアの国内企業との間に発電所の建設を含めた路面電車網の建設契約が結ばれた。市内を流れる南ブーフ川への橋梁建設を始めとした工程を経て路面電車網が完成したのは翌1913年で、試運転を経て同年9月28日(旧暦9月15日)から営業運転を開始した。開通時に導入された車両はドイツニュルンベルクで製造されたものだった[3][4]

開業当初は運賃の高さにより富裕層による利用が主体であったが、1917年に運賃が見直され、多くの層からの利用客を集める事となった。だが、ロシア革命による内戦の影響を受けたヴィーンヌィツャ市電は発電所の燃料不足が影響して1920年から1921年にかけて運行休止を余儀なくされた。再開後は路線の延伸に加えてソビエト連邦(ソ連)各都市からの譲渡車による車両増備を実施し、利用客の増加に対応した。1940年時点での総延長は11.6 km、車両数15両を記録したが、第二次世界大戦大祖国戦争)の影響を受けて1941年から再度運休する事態となった。戦争の中でドイツ軍に占領されていた時期には一部区間で運行が再開されたものの、撤退時にドイツ軍はヴィーンヌィツャ市内と共に路面電車の施設も破壊し、完全な復旧は終戦後の1940年代後半となった。その過程で、1,000 mm軌間1,524 mmへ変更する計画もあったが実現することはなかった[4][7]

1950年代以降は車庫の新設や改修、路線の延伸などが継続して実施された他、1955年には南ブーフ川を渡る橋梁が立て替えられ、それに伴う経路変更により所要時間が短縮した。線路の総延長は1974年時点で30.4 km、1986年には34.9 km、1992年には42.4 kmを記録した他、利用客も増加を続け、1975年時点の年間利用客数が5,660万人だったものが1991年に7,070万人へと上昇した。車両については1955年以降東ドイツ製の2軸車ゴータカー)が多数導入され、戦前の旧型車両が置き換えられた[注釈 2]一方、1971年からはチェコスロバキア(現:チェコ)のČKDタトラで製造されたタトラカーと呼ばれる一連の車両(タトラT4タトラKT4)の導入が継続して行われ、2軸車は1980年代までに引退した[7]

ソビエト連邦の崩壊以降、他都市と同様ヴィーンヌィツャ市電も利用客の減少やモータリーゼーションなどの問題に直面しているものの、市内における重要な公共交通機関として2000年代以降は次項で述べる車両や施設の近代化が積極的に進められている他、2014年12月29日にはヴィーンヌィツャ第9地区と第10地区を経由する区間が延伸され、それまで路面電車が通っていなかったヴィシェンカ小地区(мікрорайону «Вишенька»)における利便性が向上している[8][9][10]

近代化

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2000年代以降、ヴィーンヌィツャ市電は海外からの支援を受けた路面電車の近代化を積極的に実施している。2006年12月、ヴィーンヌィツャ市はスイスチューリッヒ市との間に市電の財政・技術支援プロジェクト(«Цюріхські трамваї для Вінниці»)に関する契約を結び、2012年までの6年間の間に車両基地の整備や技術支援のための訓練に加え、チューリッヒ市電ドイツ語版で引退した車両の大量導入も実施された。この近代化プロジェクトは2020年以降も続行される事になっている。また、それとは別に2002年にはチェコの企業の支援による線路の整備が行われ、騒音や振動が大幅に抑えられている。車両についてもチューリッヒ市電からの譲渡に加え、チェコの企業の支援を受け自社工場で旧型車両の機器を用いて製造された路面電車「ヴィンウェイ(Vinway)」の導入が積極的に行われている[8][11][9][12][13]

運行

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2021年現在、ヴィーンヌィツャ市電では以下の6系統が運行している。運賃はトロリーバスと同様に4フリヴニャである[2][14]

系統番号 起点 終点 備考・参考
1 Залізничний вокзал Електромережа
2 Барське шосе Вишенька
3 Вишенька Електромережа
4 Барське шосе Залізничний вокзал
5 Барське шосе Електромережа
6 Залізничний вокзал Вишенька

車両

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営業用・導入予定車両

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2021年時点でヴィーンヌィツャ市電に在籍する、もしくは導入が予定されている車両は以下の通り[15][16]

その他

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  • 静態保存車両
  • 1- 路面電車の開通に合わせてドイツMANで製造された電車。2021年現在は路面電車の車庫前で静態保存されている[23]
  • 104- 旧・東ドイツゴータ車両製造で生産された2軸車(ゴータカー)。100と同様、元はシンフェロポリ市電ウクライナ語版で使用されていたが、同市電が廃止された事により1971年にヴィーンヌィツャ市電に譲渡され、1985年まで使用された。ヴィーンヌィツャ市電で使用されたゴータカーとしては唯一の現存車両であり、2021年現在は動態復元へ向けた作業が進められている[23]

脚注

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注釈

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  1. ^ 2013年まではヴィーンヌィツャ路面電車・トロリーバス運営公社(Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління)と言う名称だった
  2. ^ ゴータカーの新造車両は1968年まで導入が続き、それ以降はソ連各都市からの譲渡で賄われた。
  3. ^ 当初は2022年以降の譲渡が予定されていたが、ロシアによるウクライナ侵攻の影響により延期された他、計画されていた全70両の譲渡から両数が減少している。

出典

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  1. ^ a b c VINNYTSIA”. UrbanRail.Net. 2021年2月16日閲覧。
  2. ^ a b c Розклад”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління. 2021年2月16日閲覧。
  3. ^ a b Як все починалось”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління (2008年9月1日). 2021年2月16日閲覧。
  4. ^ a b c Перші кілометри, перші роки...”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління (2008年9月13日). 2021年2月16日閲覧。
  5. ^ a b МІСЦЕВА ВЛАДА (2017年8月21日). “ВІННИЦЬКЕ ПІДПРИЄМСТВО «КЛОНУВАЛИ» У КАЛИНІВЦІ”. VLASNO. 2021年2月16日閲覧。
  6. ^ КП "ВІННИЦЬКА ТРАНСПОРТНА КОМПАНІЯ"”. Вінницька міська рада. 2021年2月16日閲覧。
  7. ^ a b Від перемоги до перемоги”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління (2008年9月13日). 2021年2月16日閲覧。
  8. ^ a b Роки незалежності”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління (2008年9月13日). 2021年2月16日閲覧。
  9. ^ a b c d Департамент у справах ЗМІ (2012年5月21日). “У МІСТІ ЗАВЕРШИВСЯ ПРОЕКТ «ЦЮРІХСЬКІ ТРАМВАЇ ДЛЯ ВІННИЦІ»”. Вінницька міська рада. 2021年2月16日閲覧。
  10. ^ На День святого Миколая у Вінниці відкрили закільцьовану трамвайну лінію”. Уніан (2014年12月19日). 2021年2月16日閲覧。
  11. ^ a b c Аліна ДОМБРОВСЬКА (2018年2月10日). “«Останній з могікан»: хто і навіщо хоче знищити житомирський трамвай?”. Пассажирский Транспорт. 2021年2月16日閲覧。
  12. ^ a b Uvedení do provozu modernizovaného vozu KT4”. Kvazar Plus s.r.o. (2015年10月20日). 2021年2月16日閲覧。
  13. ^ a b c d e VYBRANÉ TROLEJBUSOVÉ A TRAMVAJOVÉ INVESTIČNÍ AKCE NA UKRAJINĚ (2)” (チェコ語). Československý Dopravák (2018年1月22日). 2021年2月16日閲覧。
  14. ^ Вартість проїзду”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління (2008年9月13日). 2021年2月16日閲覧。
  15. ^ Вагони”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління. 2021年2月16日閲覧。
  16. ^ Vehicle Statistics Vinnytsia, Tramway”. Urban Electric Transit. 2021年2月16日閲覧。
  17. ^ Чеські КТ-4”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління. 2021年2月16日閲覧。
  18. ^ Чеські Т4”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління. 2021年2月16日閲覧。
  19. ^ a b KT4UA „VINWAY“ – NOVÁ VERZE ČESKÉ TRAMVAJE NA UKRAJINĚ” (チェコ語). Československý Dopravák (2016年9月6日). 2021年2月16日閲覧。
  20. ^ a b Дар'я Гоц (2017年12月8日). “Наступного року Вінниця випустить ще два трамваї VinWay” (ウクライナ語). VeжА - Новини Вінниці. 2021年2月16日閲覧。
  21. ^ У 2022 році ВТК планує отримати другу партію швейцарських трамваїв від VBZ”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління (2020年12月23日). 2021年2月16日閲覧。
  22. ^ First VBZ Trams Sent To Vinnytsia”. Railvolution (2023年3月28日). 2023年3月29日閲覧。
  23. ^ a b c Історичні вагони”. Вінницьке трамвайно-тролейбусне управління. 2021年2月16日閲覧。
  24. ^ Vinnytsia, car # 100”. Urban Electric Transit. 2021年2月16日閲覧。

外部リンク

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