ヴァシュロン・コンスタンタン
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種類 | 子会社 |
---|---|
本社所在地 |
スイス ジュネーヴ州プラン=レ=ズゥアト |
設立 | 1755年 |
業種 | 製造業 |
事業内容 | 時計の設計・製造 |
代表者 | ルイ・フェルラ(CEO) |
従業員数 | およそ1200名[1] |
所有者 | リシュモン |
関係する人物 | ジャン=マルク・ヴァシュロン |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ヴァシュロン・コンスタンタン(Vacheron Constantin)は、スイスのジュネーヴを本拠地とする時計メーカー。リシュモングループに属する。
概要
[編集]1755年に、スイスのジュネーヴでジャン=マルク・ヴァシュロン(Jean-Marc Vacheron, 1731-1805)が自らの工房を開いたときを創業としている[2]。創業以来一度も途切れることなく続いてきた時計メーカーとしては、世界最古とされる[3]。また、パテック・フィリップ、オーデマ・ピゲと共に世界三大高級時計メーカーの一つとされている[4]。現在はスイスのリシュモングループの傘下となっている。
製品コレクションは、クラシックな「パトリモニー」と「トラディショナル」、現代的な「フィフティーシックス」、スポーツウォッチの「オーヴァーシーズ」、レディースウォッチの「エジェリー」、往年の製品に着想を得た「ヒストリーク」などがある。また、ほとんどの製品がジュネーヴシールの認証を受けている。
トゥールビヨン、パーペチュアルカレンダー、ミニットリピーターといった、複雑機構を搭載した時計を多くラインアップしている。創業260周年にあたる2015年には、2826個の部品からなる57種の複雑機構を搭載した、世界一複雑な機械式懐中時計「Reference 57260」を発表した[5]。
設計および製造は主にジュネーヴ郊外のプラン=レ=ズゥアトにある本社アトリエで行われ、他にもジュウ渓谷に部品を製造するアトリエがある[3][6]。
日本語では、かつては「バセロン・コンスタンチン」と表記されていた[7]。
年表
[編集]- 1755年 - ジャン=マルク・ヴァシュロン(Jean-Marc Vacheron, 1731-1805)によって創業[3]。ヴァシュロンが24歳の折、時計工房を開き、1755年9月17日に一人の見習い職人を雇う[2]。
- 1760年 - アブラアム・ヴァシュロン(Abraham Vacheron, 1760-1843)がジャン=マルクと妻ジュデイトの間に生まれる[3]。父同様時計職人を志す。
- 1785年 - アブラアムが代表となる。
- 1786年 - バルテルミ・ジロード(Barthélemy Girod)が共同経営者として参加し、社名をアブラアム・ヴァシュロン=ジロード(Abraham Vacheron-Girod)へと変更[8]。
- 1787年 - ジャン=マルクの孫であるジャック=バルテルミ・ヴァシュロン(Jacques-Barthélemy Vacheron, 1787-1864)がアブラアムと妻アンの間に生まれる[3]。類い稀な才能を発揮し、現在のヴァシュロン・コンスタンタンの礎を築く。繊細かつ大胆なアイデアを用い、ミニットリピーター等の複雑時計の製作が得意であった。
- 1810年 - ジャック=バルテルミが代表となる。
- 1816年 - ジロードの後任にチャールズ=フランソワ・ショサー(Charles-François Chossat)をパートナーに迎えて、社名をヴァシュロン=ショサー(Vacheron-Chossat)に変更[8]。
- 1819年 - ジャック=バルテルミはショサーの後任として、企業運営に長けたフランソワ・コンスタンタン(Francois Constantin)を共同経営者に迎え、社名を「ヴァシュロン&コンスタンタン(Vacheron et Contantin)」へと変更する[3]。優れた営業マンでもあったフランソワ・コンスタンタンは世界各地を行商し、ヨーロッパ・アメリカ・アジアへも進出を果たす[2]。フランソワがジャック=バルテルミに宛てた手紙に書かれた「できる限り最善を尽くす、そう試みる事は少なくとも可能である」という言葉は、現在もヴァシュロン・コンスタンタンの社是となっている[2]。
- 1839年 - 機械技師ジョルジュ=オーギュスト・レショー(Georges-Auguste Leschot)が技術責任者として経営に参加[2]。彼はパンタグラフ機構を応用して、同一性を確保したまま部品を加工できる工作機械を発明し、時計製造業界に大きな影響を与えた[2][9]。
- 1880年 - 組織を株式会社とし、シンボルマークである「マルタ十字」を商標登録。当時の時計に使用されていた、ぜんまいのトルクを一定にするための部品が「マルタ十字」と似た形をしていたことに由来する[3]。
- 1906年 - ジュネーブ、ムーラン通りに初のブティックを開店[3]。
- 1935年 - エジプト王フアード1世への贈呈品として、世界で最も複雑な820のパーツを使用したグランド・コンプリケーション時計を製作。
- 1938年 - ジャガー・ルクルトと業務提携をし、共同企業である工業製品商事株式会社(SAPIC)を設立。
- 1955年 - 創業200周年を迎えたこの年、厚さ1.64mmという世界で最薄の機械式ムーブメント「キャリバー1003」を発表[3]。
- 1970年 - 社名から"&"が省かれ、「ヴァシュロン・コンスタンタン」となる。
- 1979年 - 計118個、総カラット数130カラットのダイヤを使った「カリスタ」発表。製作に6000時間かかり、当時としては最高値がついた[3]。
- 1981年 - チャールズ3世(当時皇太子)と結婚するダイアナ妃のために特別設計したレディ・キャラのモデルを製作。
- 1992年 - 厚さ3.28mmで世界最薄のミニットリピーター搭載ムーブメントである「キャリバー1755」を発表[3]。
- 1996年 - リシュモン傘下に入る[10]。
- 1998年 - ジュウ渓谷にて部品の製造を行う「アトリエ・ヴァシュロン・コンスタンタン・ヴァレ・ド・ジュウ」を設立[6]。
- 2004年 - ジュネーブ近郊プラン=レ=ズゥアトに新本社およびアトリエを設立[3]。
- 2005年 - 創業250周年を迎え、記念モデル5種を発表[3]。
- 2013年 - ジュウ渓谷のル・ブラッシュに新アトリエを建設し、三ヶ所にあったジュウ峡谷のアトリエを集約[6][11]。
- 2015年 - 創業260周年に合わせ、2826個の部品からなる57種の複雑機構を搭載した、世界一複雑な機械式懐中時計「Reference 57260」を発表[5]。
コレクション
[編集]現行
[編集]- パトリモニー
- トラディショナル
- マルタ
- フィフティーシックス
- オーヴァーシーズ
- エジェリー
- ウール・クレアティヴ
- ハーモニー
- ヒストリーク
- メティエ・ダール
旧
[編集]- キャラ
- ケ・ド・リル
脚注
[編集]- ^ “Vacheron Constantin and 'The Human Touch'”. ニューヨーク・タイムズ. 2020年11月29日閲覧。 “Mr. Ferla said Vacheron Constantin had about 1,200 global employees”
- ^ a b c d e f “ヴァシュロン・コンスタンタンの創業者”. ヴァシュロン・コンスタンタン. 2023年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “メゾンの伝統”. ヴァシュロン・コンスタンタン. 2020年12月17日閲覧。
- ^ 並木浩一 『腕時計一生もの』 光文社新書刊、205頁。
- ^ a b “ヴァシュロン・コンスタンタン「Reference 57260」- 最も複雑時計”. ヴァシュロン・コンスタンタン. 2020年12月14日閲覧。
- ^ a b c “VACHERON CONSTANTINのアトリエ 時計Begin.jp”. 世界文化社. 2020年12月17日閲覧。
- ^ "Constantin"の部分はコンスタンティンとも表記されたことがある。
- ^ a b “Watches that tell stories”. オックスフォード科学史博物館. 2023年12月11日閲覧。
- ^ “時を刻んで250年 - SWI swissinfo.ch”. スイス放送協会. 2020年12月31日閲覧。
- ^ “History”. リシュモン. 2023年12月13日閲覧。
- ^ “Inauguration of a new watch component manufacturing facility in the Vallée de Joux”. ヴァシュロン・コンスタンタン. 2020年12月17日閲覧。