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ロベルト・ソト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロベルト・ソト
ロベルト・ソトの画像
1981年
プロフィール
リングネーム ロベルト・ソト
ハリケーン・ソト
インベーダー2号
ジ・インベーダー
本名 ロベルト・ソト・ロペス
ニックネーム カリブの弾丸
身長 178cm - 180cm
体重 97kg - 105kg
誕生日 (1948-09-12) 1948年9月12日(76歳)
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコサンフアン
デビュー 1960年代中盤
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ロベルト・ソトRoberto Soto López1948年9月12日 - )は、プエルトリコサンフアン出身の元プロレスラー。地元のプエルトリコでは、覆面レスラーインベーダー2号Invader #2)としての活動でも知られる[1]

カルロス・コロン主宰のWWCを主戦場に、アメリカ合衆国本土深南部ニューヨーク地区でもベビーフェイスのポジションで活躍した[1]

来歴

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デビュー後は実兄の "サイクロン" マヌエル・ソトとともにアメリカ本土で活動し、ニューヨークWWWFではドクター・ジェリー・グラハム&エディ・グラハムヒール勢のジョバーを務め、ゴリラ・モンスーンとの1対2のハンディキャップ・マッチも行われた[2]。WWWFではマヌエルの「サイクロン」に対し、ロベルトは「ハリケーン」をニックネームとしていた。

その後、フロリダジョージアなどNWA南部テリトリーに進出。ジョージアでは1969年9月16日、マヌエルとの兄弟コンビでメイコン・タッグ王座の初代王者チームに認定されている[3]。シングルでは1972年5月5日、バディ・コルトからジョージア・ヘビー級王座を奪取[4]。以降もジョージアを主戦場に、アルゼンチン・アポロボブ・アームストロングティム・ウッズなどの人気選手のパートナーとなって活動した。

1974年10月、新日本プロレスに初来日。シリーズ後半戦に特別参加したアンドレ・ザ・ジャイアントのパートナーに起用され、アントニオ猪木&坂口征二が保持していた北米タッグ王座に挑戦した[5]1977年3月の再来日時にはワールドリーグ戦の第4回大会に出場。外国人選手同士の公式戦ではマスクド・スーパースターニコリ・ボルコフには敗退したが、トニー・チャールズベラ・ロドリゲスからは勝利を収めている[6]。エース格のジョニー・パワーズやスーパースター、ボルコフと組んでのタッグマッチでメインイベントにも再三出場した[7]。翌1978年3月の来日では、当時ドラゴン・ブームを巻き起こしていた藤波辰巳とも対戦した[8]

その後、地元プエルトリコのWWCにて覆面レスラーインベーダー2号に変身、インベーダー1号ことホセ・ゴンザレスとのタッグチームで活躍し、1978年11月11日にはケンゴ・キムラ&ハル・ササキから世界タッグ王座を、1979年8月5日にはダッチ・マンテル&フランキー・レインから北米タッグ王座をそれぞれ奪取[9][10]ドリー・ファンク・ジュニアテリー・ファンクザ・ファンクスとも抗争を展開した[11]

1981年1月、ジ・インベーダーのリングネームで国際プロレスに来日。ルー・テーズ杯争奪戦の前期予選に参戦し、Bブロック2位の戦績を残したが(アニマル浜口に敗退するも鶴見五郎とベン・アレキサンダーに勝利)、各ブロックの2位選手3名による敗者復活戦でラッシャー木村ボブ・スウィータンに連敗[12]、秋に開催が予定されていた決勝リーグへの出場権は獲得できなかった。なお、本拠地プエルトリコでのインベーダーのマスクはオリジナルのものだったが、この国際プロレス来日時はミル・マスカラスを模した覆面を被っていた。

同年7月からはWWFのミッドカードに出場し、ジョージ・スティールラリー・シャープジョニー・ロッズカルロス・ホセ・エストラーダらと対戦。若手時代のカート・ヘニングと組み、WWFタッグ王者チームのザ・ムーンドッグスレックス&スポット)やミスター・サイトー&ミスター・フジとも対戦した[13]

以降、1980年代はプエルトリコにてインベーダー2号として活動し、アブドーラ・ザ・ブッチャーオックス・ベーカーアイアン・シークブッチ・ミラー&ルーク・ウィリアムスザ・シープハーダーズなどと抗争。アメリカ本土での活動も続け、1985年9月20日にはアラバマコンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリングにてNWAアラバマ・ヘビー級王座を獲得[14]、翌1986年にかけてジェリー・スタッブスとタイトルを争った[15]1987年テキサス州ダラスWCCWにて、ブッチャーやキラー・ブルックスと対戦している[16]

セミリタイア後は、1993年8月にW★INGプロモーションにインベーダー2号として来日[17]。プエルトリコでは1997年1998年にWWCのアニバーサリー・イベントに出場した[18]

得意技

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獲得タイトル

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ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:2回[14]
オール・サウス・レスリング・アライアンス
  • ASWAジョージア・ヘビー級王座:1回[21]
ワールド・レスリング・カウンシル

脚注

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  1. ^ a b Roberto Soto: Places”. Wrestlingdata.com. 2020年7月5日閲覧。
  2. ^ The WWE matches fought by Roberto Soto in 1965”. Wrestlingdata.com. 2014年6月25日閲覧。
  3. ^ a b NWA Macon Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月25日閲覧。
  4. ^ a b NWA Georgia Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月25日閲覧。
  5. ^ The NJPW matches fought by Roberto Soto in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年6月25日閲覧。
  6. ^ The NJPW matches fought by Roberto Soto in 1977”. Wrestlingdata.com. 2014年6月25日閲覧。
  7. ^ NJPW 1977 The 3rd World League”. Puroresu.com. 2019年10月8日閲覧。
  8. ^ NJPW 1978 Big Fight Series”. Puroresu.com. 2015年6月1日閲覧。
  9. ^ a b WWC World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月25日閲覧。
  10. ^ a b WWC North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月25日閲覧。
  11. ^ The WWC matches fought by Roberto Soto in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年6月25日閲覧。
  12. ^ IWE 1981 New Year Pioneer Series”. Puroresu.com. 2015年6月1日閲覧。
  13. ^ The WWE matches fought by Roberto Soto in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年6月25日閲覧。
  14. ^ a b NWA Alabama Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月25日閲覧。
  15. ^ The CCW matches fought by Roberto Soto in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015年6月1日閲覧。
  16. ^ The WCCW matches fought by Roberto Soto in 1987”. Wrestlingdata.com. 2015年6月1日閲覧。
  17. ^ The W★ING matches fought by Roberto Soto in 1993”. Wrestlingdata.com. 2024年7月10日閲覧。
  18. ^ Wrestlers Database: Roberto Soto: Matches”. Cagematch.net. 2015年6月1日閲覧。
  19. ^ NWA Southeastern Heavyweight Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月25日閲覧。
  20. ^ NWA Southeastern Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月25日閲覧。
  21. ^ All-South Wrestling Alliance Georgia Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年9月27日閲覧。

外部リンク

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