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ロジャー・バーネット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロジャー・バーネット (: Roger Peter Burnett1960年3月2日[1]- ) は、イギリス・リンカンシャー出身の元モーターサイクル・ロードレーサー

経歴

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1981年からロードレースに参戦開始し、1983年マン島TTレースでファースト・ニューカマー(新人賞)を受賞する。1984年、ヨーロッパ選手権の500ccクラスに参戦しランキング3位。1985年はイギリス選手権の500ccクラスでランキング2位、イギリスTT-F1クラスランキング3位と国内での実績を重ねる。WGPには1984年のイギリスGPにスズキ・RGB500でスポット参戦しグランプリデビュー。翌1985年のイギリスグランプリ、GP500クラスにはイギリス・ホンダから出走し、ロスマンズカラーのRS500でスポット参戦、8位に入賞しポイントを獲得。

この1985年はマン島TTレースで優勝を果たすなど、イギリス国内で「未知数な部分もあるが、ニール・マッケンジー同様WGPに出てもかなり活躍するのではないか」との評価もされた[1]

1987年、ホンダの純然たるワークス・チームではなかったが、前年までイギリス・ホンダ監督でロン・ハスラムワイン・ガードナーをGP500で育てたバリー・シモンズが興した新チームに、ワークスと同じくロスマンズがスポンサーに付き、1年型落ちではあるが86年型のNSR500が貸与されることになり、このチームのライダーとしてバーネットが起用された。1シーズンWGP500にフルエントリーし、コンスタントに10位以内でポイント獲得を重ね時に最新型NSRに乗るピエールフランチェスコ・キリ八代俊二とバトルを繰り広げることもあった。第12戦サンマリノGPで最高位となる6位を記録した。

1988年は新たに発足されたスーパーバイク (SBK) カテゴリーに転向、開幕戦でポールポジション獲得と第2ヒートで3位表彰台獲得など見せ場を作った。シーズン終盤は負傷した八代の代役としてWGP500に参戦、イギリスGPで9位、スウェーデンGPでは8位に入賞。スーパーバイク世界選手権には1991年まで参戦した。

引退後はイギリスの後進となるニール・ホジソンジェームス・トスランドジョナサン・レイのマネージメントを担当し、キャリアをサポートした。

レース戦歴

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ロードレース世界選手権

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チーム クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 順位 ポイント
1987年 ロスマンズ・ホンダブリテン 500cc ホンダ・NSR500 (86) JPN
ESP GER ITA AUT YUG HOL FRA GBR SWE CZE SMA POR BRA ARG 11位 39
1988年 ロスマンズ・ホンダ 500cc ホンダ・NSR500 JPN USA ESP EXP NAC GER AUT HOL BEL YUG FRA GBR SWE CZE BRA 18位 15

スーパーバイク世界選手権

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鈴鹿8時間耐久オートバイレース

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チーム ペアライダー 車番 マシン タイヤ 予選順位 予選タイム 決勝順位 周回数
1990 ラッキーストライク・スズキ イギリスの旗 ニール・マッケンジー 2 スズキ・GSX-R750R D 36 2'19”664 Ret 32

脚注

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  1. ^ a b HONDA GP500class Rothmans Racing グランプリ・イラストレイテッド No.19 4月号 33頁 1987年4月1日発行