ロシア帝国軍参謀本部総局
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ロシア帝国軍参謀本部総局(ロシアていこくぐんさんぼうほんぶそうきょく、ロシア語: Главное управление Генерального штаба、略称ロシア語: ГУГШ)とは、ロシア帝国軍参謀本部の事務機関。参謀本部の機能の内、主として情報、兵站機能を管掌した。
歴史
[編集]1832年~1865年
[編集]1832年5月1日、参謀本部局(ロシア語: Управление Генерального штаба)と軍事測量団(ロシア語: Корпус военных топографов)が統合される。1863年9月27日、参謀本部総局に改編され、部隊の宿営、移動、戦闘訓練及び勤務、軍事行動の際の準備措置の計画、軍事展望の作成、写真撮影及び事前偵察、文書の収集及び戦史・戦略・戦術に関する科学論文の準備等を管掌した。1865年、参謀本部総局は廃止された。
1901年~1918年
[編集]1905年6月21日、再び参謀本部総局が編成された。この際、参謀本部からは、第2補給総監局(動員課を除く)、軍事報道局、軍事測量局、第1補給総監局第3班が移管された。
1918年3月8日、参謀本部総局は廃止された。
機構
[編集]1913年現在の機構。
- 補給総監課
- 要塞委員会
- 部隊機構・勤務課
- 動員課
- 軍事報道課
- 軍事測量課
軍事情報機関
[編集]ロシア帝国軍の軍事情報機能は、参謀本部総局の補給総監課(ロシア語: Отдел генерал-квартирмейстера)が遂行した。以下は、1910年現在の機構。
- 補給総監課長
- 特別係 - 諜報・防諜
- 第1補給総監班
- 4係 - ドイツ
- 5係 - オーストリア=ハンガリー
- 6係 - バルカン半島諸国
- 7係 - スカンディナヴィア諸国
- 8係 - その他西ヨーロッパ諸国
- 第2補給総監班
最後の総局長ニコライ・ポタポフがソビエト政権に協力的であったため、この補給総監課は、1918年5月に至るまで軍事情報機能を遂行し続け、その要員は、後の労農赤軍情報局の基盤となった。
歴代総局長
[編集]→「ロシア連邦軍参謀総長」も参照
1905年以降のみ。階級は就任時のもの。
- フョードル・パリツィン中将(1905年6月21日 - 1908年11月13日):
- ウラジーミル・スホムリノフ騎兵大将(1908年12月2日 - 1909年3月11日):
- アレクサンドル・ムィシュラエフスキー中将(1909年3月14日 - 9月19日):
- エフゲニー・ゲルングロス(1909年9月 - 1911年2月):
- ヤコフ・ジリンスキー騎兵大将(1911年2月22日 - 1914年3月5日):
- ニコライ・ヤヌシュケヴィッチ中将(1914年3月5日 - 8月2日):
- 代行ミハイル・ベリャエフ中将(1914年8月2日 - 1916年8月10日):
- ピョートル・アヴェリヤノフ中将(1916年8月10日 - 1917年9月5日):
- 代行ゲオルギー・ロマノフスキー(1917年9月5日 - 9月26日):
- 代行ウラジーミル・マルシェフスキー少将(1917年9月26日 - ):
- 代行ニコライ・ポタポフ(1917年11月 - 1918年5月):