レバウジオシドA
レバウジオシドA | |
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β-D-Glucopyranose 1-(13-{β-D-glucopyranosyl-(1→2)-[β-D-glucopyranosyl-(1→3)]-β-D-glucopyranosyloxy}-5β,8α,9β,10α,13α-kaur-16-en-18-oate) | |
(2S,3R,4S,5S,6R)-3,4,5-Trihydroxy-6-(hydroxymethyl)oxan-2-yl (4R,4aS,6aR,9S,11aR,11bS)-9-{[(2S,3R,4S,5R,6R)-5-hydroxy-6-(hydroxymethyl)-3,4-bis{[(2S,3R,4S,5S,6R)-3,4,5-trihydroxy-6-(hydroxymethyl)oxan-2-yl]oxy}oxan-2-yl]oxy}-4,11b-dimethyl-8-methylidenetetradecahydro-6a,9-methanocyclohepta[a]naphthalene-4-carboxylate | |
識別情報 | |
CAS登録番号 | 58543-16-1 |
PubChem | 124378 |
ChemSpider | 5294031 |
UNII | B3FUD0528F ![]() |
ChEBI | |
ChEMBL | CHEMBLCHEMBL430341 |
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特性 | |
化学式 | C44H70O23 |
モル質量 | 967.01 g mol−1 |
外観 | 白色粉末 |
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。 |
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レバウジオシド A(英: Rebaudioside A、略称 Reb A)は、ステビア(Stevia rebaudiana)の葉から抽出されるステビオール配糖体の1つで、砂糖の240倍の甘味度を示す[1]。レバウジオシドAは、最も甘く安定したステビオール配糖体であり、ステビオシドよりも苦味が少ない[2]。ステビアの葉は、ステビオシド9.1%とレバウジオシドA 3.8%を含有する[2]。
レバウジオシドAは、単糖部分構造としてグルコースのみを含む(他の一般的に見られる単糖を含まない)。合計で4つのグルコース分子を含み、3量体の中央のグルコースがステビオール骨格のヒドロキシル基と結合し、残り1分子のグルコースはステビオール骨格のカルボキシル基とエステル結合する。
レバゥディオシドA(Rebaudioside A)は、呼称的にレバウジオシドA、略称Reb Aとも言われている菊科多年草植物ステビアに含まれている甘味成分である。この成分は、日本で発見され、当初、甘味物質XまたはステビオサイドA3と仮称され、広島大学で化学構造式が決定・命名された甘味成分である。
概説[編集]
・南米パラグアイ原産の甘味植物ステビア レバゥディアナ ベルトニー(Stevia Rebaudiana Bertoni)に含有されている甘味成分である。[3][4]
・1970~1971年に、世界で初めて、パラグアイ産のステビア乾燥葉の原料から守田悦雄 (当時・守田化学工業株式会社 専務取締役、後に株式会社モリタ食材開発研究所 創業者)によって開発事業化されたステビア抽出物に含まれていた甘味成分。[5]
脚注[編集]
・1970~1971年に原産国パラグアイ奥地から初めて国外・日本に輸出された原料・ステビア乾燥葉の抽出物にステビオシドと異なる甘味物質が存在することを守田悦雄が発見し、甘味物質Xと仮称した。[5]
・守田悦雄は、レバゥディオシドAが甘味度、甘味質及び溶解性などにおいてステビオシドよりも優れていることを知見し、ステビア抽出物の用途特許を当時の柳野特許事務所(現柳野国際特許事務所 会長・弁理士 柳野隆生)を通じ、1973年8月4日 特許出願番号48-087748号で出願された。[3]これが世界で初めてのレバゥディオシドAを含むステビア甘味成分に関する知的財産関係である。
・1976年3月29日には、守田悦雄によってレバゥディオシドAを使用する甘味付与法が特許出願・特許公告公報で発表された。[3][5]
・レバゥディオシドAを含むステビア甘味料の理解を深めるために、ステビア甘味料の現状、またステビアの展望などが食品業界紙などで発表された。[6][7][8]
・甘味物質X、またステビオシドA3と仮称され甘味成分は、1973年6月の薬学会に広島大学田中教授によって化学構造式 C44H70O23 分子量966が決定発表され、レバゥディオシドAと命名された。[4][9]
・レバゥディオシドAは、甘味植物ステビアに含まれる主成分ステビオシドの次に多く含有する甘味成分である。その他にも、同じステビオール配糖体のレバゥディオシドB、レバゥディオシドC、レバゥディオシドD、レバゥディオシドF、ズルコシドA、ステビオールビオシド、ルプソシドなどの甘味成分を葉に含んでいる。[3][4]
・レバゥディオシドAは、砂糖の450倍に甘味度を有し、甘味質はステビオシドよりも甘味発現性が前味で、甘味質において苦味及び後味の残存性が少ない。[3][4][10]
・砂糖、異性化糖などの代替え天然低カロリー甘味料・自然のダイエット甘味料として使用でき、またソルビトール、マルチトールなどの糖アルコール甘味料、還元麦芽水飴などの甘味強化としても適している。[3][4]
・健康志向・自然志向を訴求する加工食品、糖類の物理的欠点を改善・解決でき、ダイエット食品・清涼飲料水、砂糖代替え家庭用甘味料などに使用され、食品製造工程における酸、塩、熱にも安定的で、カロリーは1gあたり約4キロカロリーである。[3][4]
・レバゥディオシドAの優れた甘味質を利用し、1990年4月1日には、新しいタイプのスポーツ飲料 ポカリスエットステビア(大塚製薬株式会社)が販売されステビアに関心が生まれた。この商品にレバゥディオシドAの甘味付与法技術(1976年3月29日出願)が活用された。[3][10][11]
・同じステビア品種に含まれるステビオシドよりも注目が高まり、レバゥディオシドAを主成分とする新しい品種の改良研究がされた。[10]
・ステビア品種改良研究の結果、日本でレバゥディオシドAを主成分とする品種の開発成功し、新しい品種である和甜菊が生まれた。[3]
・従来のステビア甘味料と異なるレバゥディオシドA甘味料が企業化され、天然ステビア甘味料は、ステビオシド甘味料、レバゥディオシドA甘味料、糖転移甘味料に分類される。[8]
・レバゥディオシドAは、甘味質、甘味度などにおいても、新しい天然甘味料として、世界的に注目されている。その原料植物の栽培が世界の甘味資源植物となるものである。[3][5]
出典・引用情報源[編集]
- ^ Izawa, Kunisuke; Amino, Yusuke; Kohmura, Masanori; Ueda, Yoichi; Kuroda, Motonaka (2010). "4.16 - Human–Environment Interactions – Taste". In Liu, Hung-Wen (Ben); Mander, Lew (eds.). Comprehensive Natural Products II (English). Vol. 4. Elsevier. pp. 631–671. doi:10.1016/B978-008045382-8.00108-8. ISBN 978-0-08-045382-8.
Among the glycosides, stevioside is the most abundant followed by rebaudioside A. Stevioside is 140 times sweeter than sucrose, while rebaudioside is 240 times sweeter.
- ^ a b “Stevia (Stevia rebaudiana) a bio-sweetener: a review”. International Journal of Food Sciences and Nutrition 61 (1): 1–10. (2010). doi:10.3109/09637480903193049. PMID 19961353.
- ^ a b c d e f g h i j 甘味植物ステビアについて。webサイト。
- ^ a b c d e f 低カロリー甘味料実態調査報告書 1985年(昭和60年)3月 財団法人甘味資源振興会。
- ^ a b c d 守田悦雄 半生記 甘いビジネス人生。
- ^ ジャパンフードサイエンス 1973年(昭和48年)9月「天然ステビア甘味料について」守田悦雄。
- ^ 食品と科学 1977年(昭和52年)4月「天然ステビア甘味料の現状」守田悦雄。
- ^ a b 食品と科学 1982年(昭和57年)4月「ステビア甘味の展望」守田悦雄。
- ^ 食品化学新聞 1979年(昭和54年)10月25日。
- ^ a b c 日経産業新聞 1980年(昭和55年)3月1日。
- ^ 夕刊フジ 1990年(平成2年)3月30日。