レニングラード軍管区
レニングラード軍管区 Ленинградский военный округ Leningrad Military District | |
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レニングラード軍管区のエンブレム | |
創設 | 1864年8月6日 |
廃止 | 2010年9月1日 |
再編成 | 2024年3月1日 |
所属政体 | ロシア |
所属組織 | ロシア連邦軍 |
部隊編制単位 | 軍管区 |
所在地 | サンクトペテルブルク |
愛称 | ЛенВО |
上級単位 | ロシア連邦軍 |
国防省 |
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参謀本部 |
軍管区 |
部隊単位 |
歴史・伝統 |
その他 |
レニングラード軍管区(レニングラードぐんかんく、Ленинградский военный округ;略称ЛенВО、Leningrad Military District)は、ロシア帝国陸軍、ソ連軍、ロシア連邦軍のロシア北西部における軍管区、統合部隊。軍管区本部は、サンクトペテルブルクに位置する。
2024年2月26日、プーチン大統領が西部軍管区をモスクワ軍管区とレニングラード軍管区に分割する大統領令に署名しレニングラード軍管区が再編成された[1]。
歴史
[編集]戦前
[編集]1924年2月1日、ソ連革命軍事会議令により、ペトログラード軍管区がレニングラード軍管区に改称。
1939年~1940年の冬戦争時、第7軍及び第13軍の指導のために、1940年1月7日、北西戦線(Северо-Западный фронт)が設立された。同年3月26日、北西戦線は解散され、再びレニングラード軍管区が編成された。
第2次世界大戦
[編集]独ソ戦勃発と共に、1941年6月24日、レニングラード軍管区は、北部戦線に改編された。同年8月23日、北部戦線は、レニングラード戦線とカレリア戦線に分離された。
1941年7月~8月、ヴェリーカヤ川河岸、後にルガ河岸及びカレリア地峡のラインにおいて、ドイツ軍及びフィンランド軍に対する防勢行動。同年9月、レニングラード封鎖。1943年1月18日、レニングラード及びヴォルホフ戦線の部隊は、レニングラードの封鎖を突破。
1944年1月、レニングラード、ヴォルホフ及び第2沿バルト戦線の部隊により、レニングラード及びノヴゴロド近郊でドイツ軍を撃破。同年夏から秋にかけて攻勢に転移し、バルト諸国の解放に参加。
戦後
[編集]1945年7月9日、レニングラード戦線はレニングラード軍管区に改編され、部隊は平時編成に移行した。
1968年2月22日、ソビエト軍創設50周年と関連して、レーニン勲章授与。
1992年から、平和維持活動のために各地に部隊を派遣。1994年~1995年、チェチェン戦争と関連して、北カフカーズ軍管区に部隊を派遣。
軍管区部隊及び保管基地には、戦車×333両、火砲×939門、戦闘装甲車両×500両、戦闘ヘリ×74機その他の兵器が装備されていた。
2010年9月20日西部軍管区へと改編された。
編成
[編集]陸軍
[編集]- 第25独立親衛自動車化狙撃旅団:旧第42保管基地。ウラジーミルスキー・ラーゲリ
- 第138独立親衛自動車化狙撃旅団:カーメンカ
- 第200独立自動車化狙撃旅団:ペチェンガ
- 第216保管基地:旧第75自動車修理工場。ペトロザヴォーツク。戦時には第4独立自動車化狙撃旅団に充足
- 第2独立特殊任務旅団(軍部隊64044):プロメジツ。スペツナズ
- 第9親衛砲兵旅団:ルガ。ウラガンx8門、ムスタ-Sx18門、MT-12x6門、シュトゥルム-Sx18門装備
- 第26ロケット旅団:ルガ。トーチカ装備
- 第1013防空指揮所:第6航空軍から移管
- 第5高射ミサイル旅団:ネニミャキ。モスクワ軍管区から移動
- 第56親衛管区教育下級特技兵訓練センター(軍部隊20160):セルトロヴォ
- 第212教育プロセス保障連隊:サンクトペテルブルク
- 第140親衛工兵連隊:ケロ
- 第95独立通信旅団:チョールナヤ・レーチカ
- 第132通信旅団:
- 第140独立後方通信大隊:
- 第60通信拠点
- 第1269独立電波電子戦センター:旧第29独立電波電子戦連隊:オストロフ
- 第10独立放射線・化学・生物学防護大隊:セルトロヴォ
- 第7014保管基地:ルガ。砲兵
- 第7022保管基地:ルプチェ・サヴィノ。工兵
- 第2124工兵修理基地:ソスノヴェツ
- 第2279工兵弾薬基地:ミャグロヴォ
- 第4998保管基地:通信兵
航空宇宙軍
[編集]- 第6航空・防空軍:サンクトペテルブルク
準軍隊
[編集]戦時には、軍管区内に駐屯する他省庁の軍事組織も作戦統制下に置く。
歴代司令官
[編集]戦前
[編集]職名 | 氏名 | 階級 | 在任期間 | 出身校 | 前職 |
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司令官 | ボリス・シャポシニコフ | 1925- | 労農赤軍参謀長第一補佐官 | ||
司令官 | ボリス・シャポシニコフ | 1935-1937 | フルンゼ名称軍事アカデミー校長 | ||
司令官 | ミハイル・キルポノス | 1940.6-1941.1 | 軍医学校 | 狙撃軍団長 | |
司令官 | マルキアン・ポポフ | 中将 | 1941.1-1941.6 | 歩兵指揮課程 | 第1独立赤旗軍司令官 |
第二次世界大戦中
[編集]戦後
[編集]職名 | 氏名 | 階級 | 在任期間 | 出身校 | 前職 |
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司令官 | レオニード・ゴヴォロフ | ソ連邦元帥 | 1945.7.9-1946.4 | コンスタンチン砲兵学校 | レニングラード戦線司令官 |
司令官 | ドミトリー・グーセフ | 大将 | 1946.4-1949 | ロシア帝国軍の准尉 | 第21軍司令官 |
司令官 | アレクサンドル・ルチンスキー | 大将 | 1949-1953.5 | 駐独ソビエト軍集団副総司令官 | |
司令官 | マトヴェイ・ザハロフ | 上級大将 | 1953.5-1957.10.26 | ペトログラード砲兵指揮官課程 | ソビエト軍主任監察官 |
司令官 | ニコライ・クルイロフ | 上級大将 | 1958.1-1960.10 | 歩兵・機関銃課程 | ウラル軍管区司令官 |
司令官 | ミハイル・カザコフ | 上級大将 | 1960.10-1965.10 | ||
司令官 | セルゲイ・ソコロフ | 大将 | 1965.10-1967.4 | ゴリコフ装甲戦車学校 | モスクワ軍管区第一副司令官 |
司令官 | イワン・シャヴロフ | 大将 | 1967.5.4-1973.1 | 装甲戦車学校 | 沿バルト軍管区第一副司令官 |
司令官 | アナトーリー・グリブコフ | 大将 | 1973.2-1976.9 | ||
司令官 | ミハイル・ソロキン | 大将 | 1976.10-1981.10 | 促成狙撃課程 | 極東軍管区第一副司令官 |
司令官 | ボリス・スネトコフ | 大将 | 1981.11-1987.12 | シベリア軍管区司令官 | |
司令官 | ヴィクトル・エルマコフ | 大将 | 1987.12- | 中央集団軍司令官 | |
司令官 | ヴィクトル・サムソノフ | 大将 | 1990.8- | ザカフカーズ軍管区第一副司令官 | |
司令官 | セルゲイ・セレズネフ | 大将 | 1991-1996 | ||
司令官 | ワレンチン・ボブリシェフ | 大将 | 1997.3-2005.3 | レニングラード高等諸兵科共通指揮学校 | レニングラード軍管区参謀長 |
司令官 | イーゴリ・プザノフ | 上級大将 | 2005.3-2007 | オムスク高等諸兵科共通指揮学校 | 国防次官 |
司令官 | ワレリー・ゲラシモフ | 大将 | 2007.12-2009.2 | カザン高等戦車指揮学校 | 北カフカーズ軍管区参謀長 |
司令官 | ニコライ・ボグダノフスキー | 中将 | 2009.4-2010.9 | モスクワ高等諸兵科共通指揮学校 | 地上軍参謀総長兼第一副司令官 |
司令官 | アレクサンドル・ラーピン | 大将 | 2024.3- | カザン高等戦車指揮学校 | 地上軍参謀総長兼第一副司令官 |
脚注
[編集]- ^ “ロシアが欧州方面の軍管区を二分割、スウェーデン加盟で拡大したNATOに対応か”. 讀賣新聞オンライン (2024年2月27日). 2024年2月27日閲覧。