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レスリー・ウェスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レスリー・ウェスト
レスリー・ウェスト(2008年)
基本情報
出生名 Leslie Weinstein[1]
生誕 (1945-10-22) 1945年10月22日[2]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク フォレスト・ヒルズ[2]
死没 (2020-12-23) 2020年12月23日(75歳没)[3]
ジャンル ハードロックブルースロック
職業 ギタリスト歌手作曲家
担当楽器 ギターヴォーカル
共同作業者 ヴァグランツ
マウンテン
ウェスト、ブルース&レイング

レスリー・ウェスト(Leslie West、1945年10月22日[2] - 2020年12月23日[3])は、アメリカ合衆国出身のギタリストヴォーカリスト1969年にソロ・デビューを果たし、同年にマウンテンを結成した。

来歴

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ニューヨークフォレスト・ヒルズで生まれた[2]。少年時代にテレビでエルヴィス・プレスリーを見て音楽に目覚める。最初に弾いた楽器はウクレレだった[4]

1960年代中期よりヴァグランツというバンドで活動。ヴァグランツは1967年にフェリックス・パパラルディ[注釈 1]の推薦によってアトコ・レコードとの契約を得て、パパラルディが提供した曲を彼のプロデュースでシングル発表した[5]。同年、オーティス・レディングの「リスペクト」のカヴァー[6]が東海岸でローカル・ヒットとなった[7]

1969年、パパラルディのプロデュース[注釈 2]によるデビュー・アルバム『マウンテン』を発表し[8]Billboard 200で72位を記録した[9]

ウェストとパパラルディ(ベース、ヴォーカル)は同年、『マウンテン』の制作に参加したN.D.スマート(ドラムス)、元ジ・デヴィルズ・アンヴィル[10]ウイングススティーヴ・ナイト[11](キーボード)とマウンテンを結成した。彼等は7月にフィルモア・ウェストでライブ・デビューし、8月にはウッドストック・フェスティバルに出演した。その後、スマートに替えてエナジーのコーキー・レイングを迎えて、1970年にデビュー・アルバム『勝利への登攀』を発表。シングル・カットされた「ミシシッピー・クイーン」は全米21位のヒットとなった[12]

1971年3月、ウェストはニューヨークのレコード・プラント・スタジオで行なわれていたザ・フーのアルバム『フーズ・ネクスト』のレコーディング・セッションに招かれて、マーヴィン・ゲイの「ベイビー・ドント・ユー・ドゥ・イット」のカヴァーの録音に参加し、「無法の世界」や「ビハインド・ブルー・アイズ」のデモ録音にも協力した[13][14]。彼が参加した「ベイビー・ドント・ユー・ドゥ・イット」は最終的にはアウトテイクになり、2003年に発売された『フーズ・ネクスト』のデラックス・エディション盤にボーナス・トラックとして収録された[15]

1972年1月、マウンテンが解散[16][注釈 3]。ウェストとレイングは、元クリームジャック・ブルース(ベース、ヴォーカル)とウェスト、ブルース&レイング(WBL)を結成[12]。第1弾アルバム『ホワイ・ドンチャ』(1972年)はBillboard 200で26位を記録するが、次作『ホワットエヴァー・ターンズ・ユー・オン』(1973年)は87位に終わった[17][18]。WBLは同アルバムを制作した後に活動を停止。ウェストとレイングはアメリカでミッチ・ライダーとLeslie West and The Wild West Showを結成してコンサート活動を行なった[19]

1973年8月、ウェストはパパラルディとマウンテンを再結成して日本公演を行なった。

彼等は同年11月からアメリカ・ツアーを行なった後、レイングを迎えた新作アルバムを1974年7月に発表。ツアーの後、年末に再び解散した[12]

1975年にファントム・レコードから発売されたソロ・アルバム『華麗なるファツビー』には、ミック・ジャガーキース・リチャーズらと共作した「ハイ・ローラー」が収録され、ジャガーはレコーディングにもギターでゲスト参加した[20]。エド・キング脱退後のレーナード・スキナードに加入する話も持ち上がるが、実現しなかった[21]。1978年にはカリフォルニア州に移住し、スティーヴ・マリオットと共にザ・ファームという新バンドを結成しようとするが、最終的にはニューヨークに戻ってギター教室を開く[22]

1980年代にはレイングと共にマウンテンの再結成を計画し[23]、1985年に元コロシアムマーク・クラーク(ベース)を迎えて3人編成でアルバム『風林火山』(原題:Go for Your Life)を発表した[22][24]が、この再結成は短期間で終わった。

1988年のソロ・アルバム『Theme』で再びジャック・ブルースと共演した[2]。その後はソロ活動を主体としつつ、レイングと共にマウンテンも断続的に再結成している。また他のミュージシャンの作品にもセッション参加した。ビリー・ジョエルのアルバム『リヴァー・オブ・ドリームス』(1993年)では3曲でギターを弾き[25]ジョー・リン・ターナーのカヴァー・アルバム『アンダー・カヴァー2』(1999年)及びオジー・オズボーンのカヴァー・アルバム『アンダー・カヴァー』(2005年)では、マウンテンの「ミシシッピー・クイーン」に参加した[26][27]

2011年、糖尿病の合併症により右足が悪くなり6月に切断手術を受けるが、同年にはスラッシュビリー・ギボンズ英語版ザック・ワイルドスティーヴ・ルカサー等をゲストに迎えたソロ・アルバム『Unusual Suspects』を発表した[28]。2012年1月にはライヴ活動も再開させている[29]ジョニー・ウィンターの遺作となったアルバム『ステップ・バック〜ルーツ2』(2014年)では、「のっぽのサリー」にフィーチャリング・ゲストとして参加した[30]

2020年12月、フロリダ州デイトナ近くの自宅で心停止を起こして病院に搬送された。2日後の同月23日、意識を取り戻すことがないまま死去[3]。75歳没。

ディスコグラフィ

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ソロ・アルバム

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  • マウンテン - Mountain(1969年)
  • 華麗なるファツビー - The Great Fatsby(1975年)
  • レスリー・ウエスト・バンド参上 - The Leslie West Band(1976年)
  • Theme(1988年)
  • アリゲーター - Alligator(1989年)
  • Night of the Guitar- Live!(1989年)
  • Live(1993年)
  • ダッジン・ザ・ダート - Dodgin' the Dirt(1994年)
  • As Phat as it Gets(1999年)
  • Blues to Die For(2003年)
  • Guitarded(2005年)
  • Got Blooze(2005年)
  • Blue Me(2006年)
  • Unusual Suspects(2011年)
  • Still Climbing(2013年)
  • Soundcheck(2015年)

マウンテン

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ウェスト、ブルース&レイング

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  • ホワイ・ドンチャ - Why Dontcha(1972年)
  • ホワットエヴァー・ターンズ・ユー・オン - Whatever Turns You On(1973年)
  • ライヴ・ン・キッキン - Live 'n' Kickin'(1974年)

脚注

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注釈

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  1. ^ ニューヨークの出身。ミシガン大学に進学してクラシック音楽を学び、卒業後にニューヨークに戻ってアレンジャーや音楽プロデューサーとして仕事を行った。1966年、RCAレコードと契約を結んだヤングブラッズのアルバムをプロデュースした。1967年5月、アトランティック・レコードトム・ダウドによってクリームのプロデューサーに抜擢された。
  2. ^ 彼はプロデュースの他、ベース・ギターとキーボードを演奏した。
  3. ^ パパラルディがウェストらに、慢性の聴覚異常などの様々な健康障害を理由にツアーには参加しないことを宣言した。

出典

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  1. ^ Laney, Karen 'Gilly'. “Top 10 Jewish Rock Star”. Ultimate Classic Rock. Diffuser Network. 2016年2月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e Ruhlmann, Willian. “Leslie West – Biography & History”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  3. ^ a b c Browne, David. “Leslie West, Mountain Guitarist Who Belted ‘Mississippi Queen,’ Dead at 75”. Rolling Stone. 2020年12月24日閲覧。
  4. ^ Hall, Russell. “The Gibson Classic Interview: Mountain’s Leslie West”. Gibson. 2016年2月13日閲覧。
  5. ^ Discogs”. 2024年8月18日閲覧。
  6. ^ Discogs”. 2024年8月18日閲覧。
  7. ^ Unterberger, Richie. “The Vagrants - Biography & History”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  8. ^ Ruhlmann, William. “Mountain - Lesile West”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  9. ^ Leslie West | Awards | AllMusic
  10. ^ Discogs”. 2024年9月28日閲覧。
  11. ^ Laing & Takala (2019), pp. 110–111.
  12. ^ a b c Huey, Steve. “Mountain - Biography & History”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  13. ^ Unterberger, Richie. “FROM WON'T GET FOOLED AGAIN: THE WHO FROM LIFEHOUSE TO QUADROPHENIA”. 2016年2月13日閲覧。
  14. ^ Neill, Andy; Kent, Matt (2007). Anyway Anyhow Anywhere: The Complete Chronicle of The Who 1958-1978. Virgin Books. p. 279. ISBN 978-0-7535-1217-3 
  15. ^ The Who - Who's Next (CD, Album) at Discogs - 2003年デラックス・エディション盤の情報
  16. ^ Laing & Takala (2019), p. 141.
  17. ^ West, Bruce & Laing | Awards | AllMusic
  18. ^ Laing & Takala (2019), pp. 141–155.
  19. ^ Laing & Takala (2019), pp. 156–159.
  20. ^ Leslie West - The Great Fatsby (Vinyl, LP, Album) at Discogs
  21. ^ Drozdowski, Ted (2015年6月26日). “Gary Rossington Discusses 'One More for the Fans!' and His Life and Times with Lynyrd Skynyrd”. Guitar World. NewBay Media. 2016年3月15日閲覧。
  22. ^ a b Popson, Tom (1985年5月24日). “Getting Caught Up With A Mountain Man”. Chicago Tribune. 2016年2月13日閲覧。
  23. ^ Laing & Takala (2019), pp. 189–202.
  24. ^ Laing & Takala (2019), p. 206.
  25. ^ Billy Joel - River Of Dreams (CD, Album) at Discogs
  26. ^ Joe Lynn Turner - Under Cover 2 (CD, Album) at Discogs
  27. ^ Ozzy Osbourne - Under Cover (CD, Album) at Discogs
  28. ^ Graff, Gary (2011年7月12日). “Leslie West on Leg Amputation: 'I Cried a Couple F--kin' Times'”. Billboard. 2016年2月13日閲覧。
  29. ^ Bosso, Joe (2012年2月2日). “Interview: Leslie West on his first show since leg amputation”. MusicRadar. Future Publishing Limited. 2016年2月13日閲覧。
  30. ^ ソニー・ミュージック、ジョニー・ウィンターへ追悼”. BARKS (2014年7月23日). 2016年2月13日閲覧。

引用文献

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  • Laing, Corky; Takala, Tuija (2019). Letters To Sarah. Helsinki: Polite Bystander Productions. ISBN 978-952-94-1530-4