レオポルド・フェデリコ
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レオポルド・フェデリコ | |
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基本情報 | |
生誕 | 1927年1月12日 |
出身地 |
アルゼンチン ブエノスアイレス |
死没 | 2014年12月28日(満87歳没) |
ジャンル | タンゴ |
職業 |
指揮者、バンドネオン奏者 作曲家 |
担当楽器 | 指揮、バンドネオン |
活動期間 | 1944年 - 2014年 |
レオポルド・フェデリコ(Leopoldo Federico, 1927年1月12日 - 2014年12月28日)は、レオポルド・フェデリコ楽団代表およびバンドネオン奏者。
1944年から、ディ・アダモ・フローレス楽団 (La orquesta Di Adamo Flores)でデビュー後、プロのバンドネオン奏者として頭角を現す。カルロス・ディ・サルリ楽団やオラシオ・サルガン楽団で、活躍する。1950年代にアストル・ピアソラ八重奏団のバンドネオン奏者として名をはせる。1958年に、レオポルド・フェデリコ楽団を結成する。ヌエボ・キンテート・レアルにも参加する。
1976年、1985年、1991年、1999年、2003年には公演旅行で日本を訪問した。
2014年12月28日に死去した。87歳であった[1]。
フェデリコが作曲した著名な曲
[編集]- Cabulero - カブレーロ
- Sentimental y canyengue - センチメンタル・イ・カンジェンゲ
- Siempre Buenos Aires - いつもブエノスアイレス
- Tango al cielo - 空へのタンゴ
脚注
[編集]- ^ “Llora el bandoneón: murió el maestro Leopoldo Federico” (Spanish). Diario26 (28 December 2014). 28 December 2014閲覧。