ルスピタレート・ダ・リュブラガート
自治体庁舎 | |
州 | カタルーニャ州 |
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県 | バルセロナ県 |
コマルカ | バルサルネス |
面積 | 12.4 km² [1] |
標高 | 8m |
人口 | 253,518 人 (2014年[1]) |
人口密度 | 20,445 人/km² |
北緯41度21分50秒 東経02度06分00秒 / 北緯41.36389度 東経2.10000度座標: 北緯41度21分50秒 東経02度06分00秒 / 北緯41.36389度 東経2.10000度
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ルスピタレート・ダ・リュブラガート (L'Hospitalet de Llobregat IPA:[lʊspɪtəˈlɛt də ʎʊβɾəˈɣɑt])は、スペイン・カタルーニャ州バルセロナ県バルサルネス郡のムニシピオ(基礎自治体)。バルセロナ都市圏に含まれる。バルセロナに次いでカタルーニャ州で2番目の人口を有する。スペインのみならずヨーロッパ有数の人口密度を持つ都市として知られている。スペイン語表記は定冠詞のないHospitalet de Llobregat(オスピタレート・デ・ジョブレガット)。
歴史
[編集]最初に定住地のあった記録は、新石器時代に遡る。リュブラガート川流域で、人類の定住を示す石器が見つかっている。古代ローマの足跡は、メドゥーサの頭部を描いた葬送用装飾といったものがあり(現在バルセロナ考古学博物館蔵)紀元前2世紀からある。しかし、市の古名であるプロベンサーナ(Provençana)は、10世紀になるまで歴史に現れなかった。現在の市名はカタルーニャ語に元を発しており、中世の時代、サンタ・アウラリア・デ・プロベンサーナ教会の隣にあった巡礼宿に由来している。市は18世紀まで村の特性を持ち続けていたが、最初の紡績工場ができたことで人口流入が起きた。1960年代と1970年代にも二回目の移民ブームがおこり、国内の所得の低い州からの入移民が相次いだ。しかしこの移民ブームは必要とされる施設の建設に合致せず、1990年代には公共の投資が学校、住宅、レジャー施設になされだだけに終わった。
人口
[編集]ルスピタレート・ダ・リュブラガートの人口推移 1900-2011 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3] |
定住人口の22%以上がスペイン国外生まれであり、主としてエクアドル、ドミニカ共和国、モロッコである。しかしルスピタレート・ダ・リュブラガートは、欧州連合(EU)の加盟国からの永住人口及び非永住人口も多数抱えている。これらの人口は、2006年調査では78%がスペイン生まれ(52%がカタルーニャ人)で、その他は以下のようになっていた。
- スペイン - 207,930人
- アメリカ - 35,628人
- アフリカ - 7,935人
- アジア - 5,375人
- ヨーロッパ(EU非加盟国) - 2,428人
- ヨーロッパ連合加盟国 - 2,004人
- オセアニア - 10人
行政区
[編集]6区に分けられている。
- 1区 - アル・セントラ地区、サン・ジュゼップ地区、サンフェリウ地区。市役所や歴史ある建物が集中する。
- 2区 - コリブラン地区(商業)、ラ・トゥラサ地区(住宅)。
- 3区 - サンタ・アウラリア地区、グラン・ビーア・シュド地区
- 4区 - ラ・フルリーダ地区、ラス・プラーネス地区
- 5区 - プビーリャ・カザス地区、カン・セーラ地区
- 6区 - ベイビッジャ地区、グルナル地区。1960年代に移民用の住宅が数多く建てられた。
スポーツ
[編集]- CEルスピタレート : サッカークラブ
- ルスピタレート・パイオニアーズ : アメリカンフットボールクラブ
著名な出身者
[編集]- ビクトル・バルデス : サッカー選手。
- フェラン・アドリア : 料理人。『エル・ブジ』のオーナーシェフ。
- ジョルディ・アルバ : サッカー選手。
- アダマ・トラオレ (1996年生のサッカー選手) : サッカー選手。