ルシアーノ・フィゲロア
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名前 | ||||||||||||||
本名 |
ルシアーノ・ガブリエル・フィゲロア・エレーラ Luciano Gabriel Figueroa Herrera | |||||||||||||
愛称 | ルチョ | |||||||||||||
ラテン文字 | Luciano FIGUEROA | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
アルゼンチン イタリア | |||||||||||||
生年月日 | 1981年5月19日(43歳) | |||||||||||||
出身地 | ロサリオ | |||||||||||||
身長 | 183cm | |||||||||||||
体重 | 77kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | FW (CF) | |||||||||||||
利き足 | 左足 | |||||||||||||
ユース | ||||||||||||||
ロサリオ・セントラル | ||||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
2001-2003 | ロサリオ・セントラル | 57 | (35) | |||||||||||
2003 | バーミンガム | 1 | (0) | |||||||||||
2004 | クルス・アスル | 33 | (21) | |||||||||||
2004-2006 | ビジャレアル | 26 | (5) | |||||||||||
2006 | → リーベル・プレート (loan) | 7 | (3) | |||||||||||
2006-2010 | ジェノア | 23 | (3) | |||||||||||
2008-2009 | → ボカ・ジュニアーズ (loan) | 17 | (7) | |||||||||||
2010-2011 | ロサリオ・セントラル | 38 | (12) | |||||||||||
2011-2012 | エメレク | 34 | (14) | |||||||||||
2013 | パナシナイコス | 15 | (6) | |||||||||||
2014-2015 | ジョホール・ダルル・タクジム | 36 | (23) | |||||||||||
2018 | ジョホール・ダルル・タクジム | 4 | (2) | |||||||||||
通算 | 291 | (131) | ||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
2004-2005 | アルゼンチン | 15 | (9) | |||||||||||
監督歴 | ||||||||||||||
2018-2020 | ジョホール・ダルル・タクジム | |||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ルシアーノ・ガブリエル・フィゲロア・エレーラ(Luciano Gabriel Figueroa Herrera, 1981年5月19日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州ロサリオ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。
経歴
[編集]地元の名門CAロサリオ・セントラルで2001年にキャリアをスタート。同期のセサル・デルガドとのコンビでスタメンに定着、2003年後期リーグでは得点王に輝く。2003年にイングランド・プレミアリーグのバーミンガム・シティFCへ移籍。このときスペインのCAオサスナとの二重契約が発覚するが、無事にバーミンガムへの移籍が成立した。しかし出場は1試合のみに終わり冬には契約解除となった。
その後メキシコのクルス・アスルへと移籍。デルガドと再会すると、33試合で21得点を記録。またこの頃アルゼンチン代表に招集され始める。
2004年秋にスペインのビジャレアルCFに移籍。多くのアルゼンチン人が在籍していたこともあり早々と適応した。2005-06シーズンはクラブ初出場となったUEFAチャンピオンズリーグの予選第3戦エヴァートンFC戦で先制点を決め、クラブ史に残るゴールとなった。その一方で出場機会は減少、2006年ドイツW杯の代表メンバーに入るため母国のCAリーベル・プレートへと活躍の場を求めてレンタル移籍した。3年ぶりの後期リーグでは7試合で3得点と調子も良かったが、左膝の十字靱帯を負傷する大怪我を負いW杯出場は絶望となった。
2006年8月、イタリアのジェノアCFCに移籍。怪我の影響が長引き、2006-07シーズンは試合出場ゼロに終わった。2008年9月29日、マルティン・パレルモが大怪我を負ったため限定的に補強が許されたボカ・ジュニアーズへとレンタル移籍した。11月23日のCAサンマルティン・トゥクマン戦で初ゴールを決めた。ボカでは期待以上の活躍を見せたが、ボカ側が完全移籍に必要な150万ユーロが払えず、ジェノアに復帰することとなった。
ジェノアではUEFAヨーロッパリーグで2ゴールを上げる活躍を見せるものの、出場機会を得るには至らず、2010年1月にデビュークラブであるCAロサリオ・セントラルに復帰した。
2011年にはエクアドルのCSエメレクに移籍。2013年にはギリシャのパナシナイコスFCに移籍。2014年にマレーシアのジョホール・ダルル・タクジムFCに移籍し、2015年限りで現役を引退した。2017年からはクラブのアンバサダーを務める。同年11月20日、選手として復帰することが発表された[1]。2018年、ジョホール・ダルル・タクジムの監督に就任した。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ボカ・ジュニアーズ
- プリメーラ・ディビシオン : 2008-09A
- ジョホール・ダルル・タクジム
- マレーシア・スーパーリーグ : 2014, 2015, 2018
- マレーシア・スーパーカップ : 2015, 2018
- AFCカップ : 2015
代表
[編集]- アルゼンチン
個人
[編集]- プリメーラ・ディビシオン得点王 : 2002-03C
脚注
[編集]- ^ “Figueroa comes out of retirement to play for Southern Tigers”. The Star Online (2017年11月20日). 2018年4月22日閲覧。
外部リンク
[編集]- Figueroa, Luciano - National Football Teams
- Luciano Figueroa - Transfermarkt
- アルゼンチンのサッカー選手
- サッカーアルゼンチン代表選手
- アルゼンチンのサッカー指導者
- CAロサリオ・セントラルの選手
- バーミンガム・シティFCの選手
- クルス・アスルの選手
- ビジャレアルCFの選手
- CAリーベル・プレートの選手
- ジェノアCFCの選手
- ボカ・ジュニアーズの選手
- CSエメレクの選手
- パナシナイコスFCの選手
- ジョホール・ダルル・タクジムFCの選手
- コパ・アメリカ2004出場選手
- オリンピックサッカーアルゼンチン代表選手
- 2004年アテネオリンピックサッカー出場選手
- サッカーのオリンピックメダリスト
- アルゼンチンのオリンピック金メダリスト
- FIFAコンフェデレーションズカップ2005出場選手
- イタリア系アルゼンチン人
- ロサリオ出身の人物
- 1981年生
- 存命人物