ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト
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ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト Louis Antoine Léon de Saint-Just | |
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![]() サン=ジュストの肖像(ピエール=ポール・プリュードン画) | |
生年月日 | 1767年8月25日 |
出生地 |
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没年月日 | 1794年7月28日(26歳没) |
死没地 |
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出身校 | ランス大学 |
選挙区 | エーヌ県 |
当選回数 | 1 |
ルイ・アントワーヌ・レオン・ド・サン=ジュスト(仏: Louis Antoine Léon de Saint-Just[1]、1767年8月25日 - 1794年7月28日)は、フランスの政治家、革命家。ロベスピエールらと共にフランス革命に参加し、彼の右腕とも称された。
その美貌と冷厳な革命活動ゆえに「革命の大天使[2]」または「死の天使長」との異名をとった。
生い立ち
[編集]1767年8月25日、ブルゴーニュ地方ニヴェルネ州ドシーズに生まれる。父ルイ・ジャンは軍での功績により騎士の称号を持つ農民出身の軽騎兵隊大尉、母マリー=アンヌ・ロビノはドシーズの公証人レオナール・ロビノの娘であった。幼少期をヴェルヌイユの司祭だった伯父アントワーヌ・ロビノの元で過ごしたのち、1776年10月、両親とともにピカルディ州エーヌ県ブレランクールに移る。1777年に父が死去。
1786年までソワソンにあるオラトリオ会のコレージュで学ぶが、ここでの規則にうんざりしたサン=ジュストは宗教に対し反発を覚えるようになる。
また、前年からこの年にかけてブランクレールの名士であるジュレ家の娘テレーズと交際していた。ふたりはサン=ジュスト家がブレランクールに移り住んだ頃からの付き合いだったが、1歳年上であるテレーズとの恋は彼女の父親からの反対により終わりを告げる。父親はテレーズをエマニュエル・トランという若者と取り急ぎ結婚させたが、サン=ジュストとジュレ家・トラン家はフランス革命の後、ブランクレールの政治をめぐりライバル関係となった。
失恋したサン=ジュストはパリに出奔し、歓楽街であるパレ・ロワイヤルに住み放蕩生活を送る。この際、生活費にあてるため家の金銀細工を持ち出したと言われているが、これを受けて母マリー・アンヌは封印状により息子を86年から翌年にかけて矯正施設に送った。
1787年、ランス大学法学部に入学。入学後1年を経ずして学士号を取得する。
革命
[編集]1789年には風刺歌「オルガン」を地下出版。伝統・権威・カトリック教会・国王を批判し、エロティックな場面も盛り込まれた本作は出版禁止処分となり、追われる身となったサン=ジュストは再びパリに戻り潜伏した。
そしてこの時、バスティーユ襲撃を目撃する。惨事を目の当たりにしたサン=ジュストは革命の実現を追い求めるようになる。その後、ブランクレールに戻り地元の政治活動に参加。町当局への選挙出馬を望むも、サン=ジュストの希望は年齢を理由に退けられた。
1790年6月に23歳でブランクレールの国民衛兵隊長中佐になり、その年の7月14日のパリでの全国連盟祭に参加。また、この頃ロベスピエールに感銘を受け手紙を書き、陳情書の草稿も依頼している。手紙は『専制と陰謀の激発に、よろめきながら立ち向かっているこの国を支えるあなた、ちょうど数々の奇跡を通して神を知るように、私はあなたのことを知っています。』[3]から始まり、その後手紙のやりとりを通して2人は仲を深めていく。
1791年に『革命及びフランス憲法の精神』を発行し、革命の最中にあって最年少の理論家となった。その後、25歳で国民公会議員に当選。その生涯において数々の演説を残すが、1792年に8月10日の革命後に行われた国王裁判での『処女演説』が最も有名である。
この時サン=ジュスト、ロベスピエール、マラーは、人民はすでに王を裁いており、王は市民共同体の構成員ではなかったのだから1791年憲法は適用されないため、王を敵及び反逆者として裁くべきだと考えていた。しかしジャコバン派の大半は、他の裏切り者と同様に裁判にかけるべきだと主張していた。[4]その中で行われた「人は罪なくして王たりえない」を含むサン=ジュストの演説は場を熱狂させ、ルイ16世 の裁判の方向性を決定付けた。
サン=ジュストは主要な公安委員会 報告の大半を担当しながら派遣議員としてライン軍と北部軍にも赴いており、フランス革命戦争 が始まってからは前線視察に多くの時間を費やす一方、ジロンド派の逮捕(1793年10月)、エベール派の逮捕、(1794年3月)、ダントン派の逮捕(1794年4月)にも関わった。ダントン派の告発状はロベスピエールの覚書を元にサン=ジュストによって制作したものだが、そこに挙げられたダントンの罪状の大半は冗談への非難までも含むような代物であった。[5]
私生活では友人であるル・バの妹アンリエットとは交流があり、フランス国立古文館の『ルバ・コレクション』のリストあるル・バの父親が書いた手紙には「サン=ジュストの婚約者だったアンリエット宛て」と記されている。
1794年2月から3月にかけて、サン=ジュストは国民公会の議長をつとめる。この頃、彼の提案によりヴァントーズ法が提案された。貧しい人々のために反革命容疑者の財産を没収し再配布するという内容だが、法的にあいまいな部分もあり、実施するためのリソースも不足していたために終了する。この時期、ジャコバン派の貧困撲滅や教育政策に対する取り組みは、革命政府の戦時による財政難で失敗していた。[6]この法は特にサン=ジュストが実現を望んだ法令であったが、これがプレーヌ派(平原派)との決裂を招き、失脚の一因になった。
同年4月、フルーリュスの戦いに参加。この戦いからパリに帰ってきたサン=ジュストは、公安委員会がかつてないほど分裂していることを察したという。
同年4月23日、サン=ジュストは彼自身、ロベスピエール、クートンを構成員とする治安維持局を創設。[7]その10日後にサン=ジュストは北部方面軍への視察に派遣されたため、これは事実上ロベスピエールが引き継いだ。以降、拘束された者はパリに移送されて裁判を受けることとなる。この時期、ダントン、カミーユ、エベールといった革命家たちがすでに処刑されており、愛国者たちは街に流れる陰謀が真実であるかどうか、明らかになることを望んでいた。
同年6月8日、最高存在の祭典が開かれる。ジャック=ルイ・ダヴィッドが演出を手掛けた大規模な美しい祭典には大勢の群衆が参加したものの、そこに湧き上がるような祝賀ムードが明らかに欠けているのを感じ取ったサン=ジュストは「革命は冷え切ってしまった」と懸念した。[8]
同年6月29日、公安委員会と保安委員会の合同会議において、カルノはサン=ジュストに向かい彼とロベスピエールはとんでもない独裁者だと怒鳴ったという。[9]この日以降、公的な場からほとんど姿を消していたロベスピエール[10]の仕事をサン=ジュストが引き継いでいた。
最期
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1794年7月27日、テルミドールのクーデターが起こる。サン=ジュストは正午頃、ロベスピエールを擁護するため演壇へ上がった[11]が、タリアンから議事進行上の問題を理由に演説を妨げられた。その後、ロベスピエール兄弟(マクシミリアン、オーギュスタン、クートン、ル・バと共にサン=ジュストにも逮捕命令が出され革命広場(現コンコルド広場 )で処刑された。その間、悠然と落ち着き払って死に臨んだという。[12]
遺体は同志とともにエランシ墓地に埋葬されたが、後の道路拡張で墓地が閉鎖されたことに伴って、遺骨はカタコンブ・ド・パリに移送されている。
フィクション
[編集]- ベルサイユのばら
- ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されるころ(原作連載終了)まで登場。ベルナール・シャトレの遠縁にあたる設定で、「オルガン」を出版したために(本人曰く「最高傑作」。)発禁処分を受けて指名手配され、ベルナール・シャトレの下に身を寄せている設定だった。物語終盤のフランス衛兵隊が革命派に寝返った直後、ベルナールに故郷へ帰る旨を告げて彼らの前から去る。
- 原作ではほぼ史実どおりにロベスピエールを支持する革命家であるが、アニメ版ではロベスピエールに対してすら辛辣な発言をする過激な思想の持ち主として描かれている。声優は古川登志夫。
- ナポレオン -獅子の時代-
- ルイ16世処刑直前から登場。ロベスピエールの側近としての描写はほぼ史実に沿っているが、ナポレオンを自ら高く評価して取り立てる(実際にナポレオンを高く評価していたのは、マクシミリアン・ロベスピエールの弟であるオーギュスタン・ロベスピエール)など、ジャコバン派の他の人物の行動や業績がサン=ジュスト一人に収斂されて描かれていることが多い。
テルミドールのクーデターから辛くも落ち延びてタリアンを暗殺、さらにバラスの暗殺を図るが、ナポレオンに阻止され川に転落する。
その後長らく行方不明となっていたが、バラスがブリュメールのクーデターで失脚して故郷に戻る場面で再登場。バラスを殺害し、その身分を乗っ取るとともに反ボナパルト派テロリストとして暗躍する。 - マリーベル
- 舞台女優を目指す主人公の少女・マリーベルの生き別れの兄という設定で登場。サン=ジュストに妹がいたという説は通説となっていないが、作者の上原きみ子によれば執筆資料として探したある本に「サン・ジュストには異父姉がふたりいた」との記述があり、その本を基にして設定したのだという[13]。
- 欲望の聖女 令嬢テレジア
- ロベスピエールとともに、ジロンド派寄りの主人公テレジアと敵対する人物として登場。
- 杖と翼
- 木原敏江の漫画。主人公の少女・アデルの幼馴染という設定で登場。
- ラ・セーヌの星
- 『ベルサイユのばら』と同じくフランス革命を描くTVアニメ作品。王妃マリー・アントワネットの父ロートリンゲン公がパリのオペラ座の歌姫との間に娘シモーヌ・ロランを儲け、そのシモーヌが圧政に苦しむ民衆を救う仮面の剣士「ラ・セーヌの星」となって戦うが、出自を知り腹違いの姉と和解するも義兄ルイ16世の死刑に処され、王妃も処刑される。ルイ16世の死刑を決定づける演説をサン・ジュストが行った。
- 第3のギデオン
- 反体制の革命家として登場。その生い立ちから社会を憎み革命派に加わる。根は善良だが口先だけの青二才。議員となってからは才能を発揮していく。
- 断頭のアルカンジュ
- サン=ジュストの半生を描く。元々貴族嫌いであったが、妹が夫から貴族への貢物にされ廃人化したことを機に、貴族と身分社会に強い憎しみを抱き、「悪がいなくなれば妹は正気に戻る」と信じて腐敗が蔓延するフランス王国の「国殺し」に挑む。
脚注・出典
[編集]- ^ 史料のなかにはこの他に、アントワーヌ=ルイ=レオン=フロレル・ド・サン=ジュスト(仏: Antoine-Louis-Léon-Florelle de Saint-Just)もしくはルイ=アントワーヌ=レオン・ド・サン=ジュスト・ド・リシュブール(仏: Louis Antoine Léon de Saint-Just de Richebourg)と表記されるものもある。
- ^ (l'Archange de la Révolution)
- ^ ロベスピエール - 白水社
- ^ “ロベスピエール 松浦 義弘(著/文) - 山川出版社”. 版元ドットコム. 2025年3月8日閲覧。
- ^ ロベスピエール - 白水社
- ^ フランス革命史 - 白水社
- ^ フランス革命史 - 白水社
- ^ フランス革命史 - 白水社
- ^ フランス革命史 - 白水社
- ^ ロベスピエール - 白水社
- ^ ロベスピエール - 白水社
- ^ “supp2-3214836.pdf”. doi.org. 2025年3月8日閲覧。
- ^ 講談社漫画文庫『マリーベル』第6巻巻末のインタビューでの、上原きみ子のコメントより。
参考文献
[編集]- 山崎耕一 『サン=ジュストとフランス革命』
- 山崎耕一 『サン=ジュスト著 『革命の精神』をめぐって』
- 安倍 住雄 『記憶の中のサン=ジュスト』
- ピーター・マクフィー『フランス革命 自由か死か』(永見 瑞木 ,安藤 裕介 訳、白水社、2022)ISBN 4560098956
- ピーター・マクフィー『ロベスピエール』(高橋暁生 訳、白水社、2017)ISBN 4560095353
- 松浦義弘 『ロベスピエール』(山川出版、2018)ISBN 104634350610