コンテンツにスキップ

リヒャルト・アベッグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リヒャルト・アベッグ
Richard Abegg
リヒャルト・アベッグ
生誕 (1869-01-09) 1869年1月9日[1]
プロイセン王国の旗 プロイセン王国 ダンツィヒ
死没

1910年4月3日(1910-04-03)(41歳没)

[1]
ドイツの旗 ドイツ帝国 ケスリーン[1][2]
居住 ドイツの旗 ドイツ
国籍 ドイツの旗 ドイツ
研究分野 化学
研究機関 ゲッティンゲン大学
ストックホルム大学
ヴロツワフ工科大学英語版
出身校 キール大学
テュービンゲン大学
ベルリン大学
博士課程
指導教員
アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン
博士課程
指導学生
クララ・イマーヴァール
主な業績 アベックの規則英語版
署名
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

リヒャルト・ヴィルヘルム・ハインリッヒ・アベッグ[3](Richard Wilhelm Heinrich Abegg、1869年1月9日 - 1910年4月3日)は、ドイツの化学者で、原子価理論の開拓者である。プロイセン王国ダンツィヒ(現在のポーランド・グダニスク)出身。

元素の最大の正酸化数は+Nをとり、最小の負の酸化数は-(8-N)の値をとるということを提案した。これは、アベックの規則と呼ばれるようになった。

ガス気球愛好家でもあり、これがシュレジエンでの衝突事故によって41歳で死ぬ原因となった。ポンメルンのケスリーン(現在のポーランド・コシャリン)で死去。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c Hoiberg, Dale H., ed. (2010). "Abegg, Richard Wilhelm Heinrich". Encyclopedia Britannica. Vol. I: A-ak Bayes (15th ed.). Chicago, IL: Encyclopedia Britannica Inc. p. 24. ISBN 978-1-59339-837-8
  2. ^ Debus, Allen G., ed (1968). World Who's Who in Science. Hannibal, MO: Western Publishing Company. p. 3. ISBN 0-8379-1001-3 
  3. ^ 資料によってはアベッと表記。