リヒャルト・アベッグ
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(リヒャルト・アベックから転送)
リヒャルト・アベッグ Richard Abegg | |
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リヒャルト・アベッグ | |
生誕 |
1869年1月9日[1] プロイセン王国 ダンツィヒ |
死没 |
[1] ドイツ帝国 ケスリーン[1][2] |
居住 | ドイツ |
国籍 | ドイツ |
研究分野 | 化学 |
研究機関 |
ゲッティンゲン大学 ストックホルム大学 ヴロツワフ工科大学 |
出身校 |
キール大学 テュービンゲン大学 ベルリン大学 |
博士課程 指導教員 | アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン |
博士課程 指導学生 | クララ・イマーヴァール |
主な業績 | アベックの規則 |
署名 | |
プロジェクト:人物伝 |
リヒャルト・ヴィルヘルム・ハインリッヒ・アベッグ[3](Richard Wilhelm Heinrich Abegg、1869年1月9日 - 1910年4月3日)は、ドイツの化学者で、原子価理論の開拓者である。プロイセン王国ダンツィヒ(現在のポーランド・グダニスク)出身。
元素の最大の正酸化数は+Nをとり、最小の負の酸化数は-(8-N)の値をとるということを提案した。これは、アベックの規則と呼ばれるようになった。
ガス気球愛好家でもあり、これがシュレジエンでの衝突事故によって41歳で死ぬ原因となった。ポンメルンのケスリーン(現在のポーランド・コシャリン)で死去。
脚注
[編集]- ^ a b c Hoiberg, Dale H., ed. (2010). "Abegg, Richard Wilhelm Heinrich". Encyclopedia Britannica. Vol. I: A-ak Bayes (15th ed.). Chicago, IL: Encyclopedia Britannica Inc. p. 24. ISBN 978-1-59339-837-8。
- ^ Debus, Allen G., ed (1968). World Who's Who in Science. Hannibal, MO: Western Publishing Company. p. 3. ISBN 0-8379-1001-3
- ^ 資料によってはアベックと表記。