リチャード・マニュエル
リチャード・マニュエル Richard Manuel | |
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リチャード・マニュエル(1971年) | |
基本情報 | |
出生名 | Richard George Manuel |
生誕 | 1943年4月3日 |
出身地 | カナダ オンタリオ州ストラトフォード |
死没 |
1986年3月4日(42歳没) アメリカ合衆国 フロリダ州ウインター・パーク |
ジャンル | ルーツ・ロック、アメリカーナ、フォーク・ロック、ブルース・ロック |
職業 | 歌手、ソングライター |
担当楽器 | ボーカル、ピアノ、キーボード、ドラム、スライドギター、ハーモニカ、クラビネット、マリンバ、コンガ |
活動期間 | 1961年 - 1986年 |
レーベル | キャピトル・レコード、Dreamsville Japan |
共同作業者 | ザ・バンド |
リチャード・マニュエル(Richard Manuel、1943年4月3日 - 1986年3月4日[1])は、カナダ・オンタリオ州ストラスフォード出身のミュージシャン。ザ・バンド (the band) のメンバーとして知られる。ザ・バンド時代はボーカル、ピアノ、ドラムなどを担当した。長年薬物中毒に苦しんだ後に、1986年に自死している。
生涯
[編集]マニュエルはカナダで、父親が自動車工場で働く労働者の家庭に生まれた。また、子供のときから聖歌隊に加わりピアノを学ぶなど音楽教育を受けた。やがて彼は黒人音楽に興味を持ち、レイ・チャールズ、ボビー・ブランド、ジミー・リード、オーティス・ラッシュらのブルースやR&Bに夢中になった。1957年ごろ、中学生の時にデュアン・エディ&レベルズに敬意を表して命名したザ・レヴォルズで活動し始めた。[2]。1961年夏、たまたま巡業に来ていたロニー・ホーキンスのショーの前座で「わが心のジョージア」を演奏。ロニーにスカウトされ、彼のバック・バンドである「ザ・ホークス」に参加。後にホークスが独立し、1965年ボブ・ディランのバックバンドとして活動。
1968年にザ・バンドと改名し、レコード・デビュー。初期3作のアルバムでは、リチャードは積極的に作曲活動も行っている。ヴォーカリストとしても、デビュー・アルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』収録の「アイ・シャル・ビー・リリースト」(ボブ・ディラン作)は繊細そのものの歌唱を披露した名唱とされている。ロビー・ロバートソンは「彼の声にはどこからか悲しみがただよっている」と評している。ザ・バンドのメンバーは、リチャードがメインのボーカリストと認識していた。
2作目『ザ・バンド』からドラムを担当。リチャードは経験が無かったが、いざやってみるとドラマーのリヴォン・ヘルムをして「おれよりリチャードの方が上手いよ」と言わしめるほどの腕前であった。「ラグ・ママ・ラグ」収録時は、始めリヴォンにドラムをさせたがどうもうまくいかず、かわりにリチャードにさせると、その素人っぽさがかえってよい効果を生んだ。
穏やかな性格で仲間から「ビーク」と呼ばれて親しまれていた。しかし、アルコール、ドラッグにのめり込み作曲活動は次第に衰えを見せ、声も荒れ、車を猛スピードで走らせたりするなどの奇行が目立つようになる。家族も家出し生活も荒み切っていたが、友人たちの援助に支えられながら、かろうじて音楽活動を継続した。
1976年11月25日に行われた『ラスト・ワルツ』コンサートで一旦バンドは解散。この時に撮影された映画にはあまりリチャードの姿がないが、彼は満身創痍の状態で歌えるどころではなく、「キング・ハーベスト」のリードボーカルも彼一人では歌い切れず、リヴォンとリック・ダンコが歌をサポートし、ロビーが間奏のギターを長めにするなどして助けた。
1983年には、ロビー抜きで再結成するも昔日の面影は無かった。リチャードはますます酒と薬に溺れるようになる。リヴォンは友人だった名マネージャー、アルバート・グロスマンの死に衝撃をうけてから止めていた酒と薬に再び手を出したと証言している。
1986年3月4日、リチャード・マニュエルは、フロリダ州ウインター・パークにあるモーテルの一室で首をつって自殺しているのが発見された。生前にソロ・アルバムを残すことはなかった。死後、1985年のライブの模様を収録したライブ盤が発表されている。
なお、エリック・クラプトンの「ホーリー・マザー」は彼に捧げられた曲である。カウンティング・クロウズの2002年のアルバム『ハード・キャンディ』収録曲に「リチャード・マニュエルが死んだ」という副題のついた曲がある。
ディスコグラフィ
[編集]ライブ・アルバム
[編集]- 『ウィスパリング・パインズ〜ソロ・ライヴ』 - Whispering Pines: Live at the Getaway (2002年) ※1985年年10月12日ライブ録音
- 『ライヴ・イン・スクラントン1985』 - Live at O'Tooles Tavern (2009年) ※1985年年12月12日ライブ録音(ペンシルベニア州スクラントン) with リック・ダンコ
- 『ライヴ・アット・ザ・ローン・スター・カフェ1985』 - Live at the Lone Star (2011年) ※1985年1月ライブ録音(ニューヨーク) with リック・ダンコ、ガース・ハドソン
脚注
[編集]- ^ リチャード・マニュエル - IMDb
- ^ Po20-21, Part 1 (Nighthawking), Chapter 1 (Promised Lands) - Across The Great Divide: The Band And America, by Barney Hoskyns; Viking, London; 1993 ISBN 0-670-84144-7