リチャード・バード (陸上選手)
表示
| |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ストックホルムオリンピックでのバード(1912年) | |||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | リチャード「ディック」・レスリー・バード | ||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||
種目 | 円盤投 | ||||||||||||||
所属 | エイドリアン大学(en:Adrian College) | ||||||||||||||
生年月日 | 1892年5月16日 | ||||||||||||||
生誕地 | アメリカ合衆国アイダホ州 | ||||||||||||||
没年月日 | 1953年6月??日 | ||||||||||||||
身長 | 181cm | ||||||||||||||
体重 | 88kg | ||||||||||||||
自己ベスト |
円盤投:43.84m(1919年) やり投:39.57m(1912年) | ||||||||||||||
| |||||||||||||||
編集 |
リチャード・バード(Richard "Dick" Leslie Byrd、1892年5月16日 – 1953年6月)は、アメリカ合衆国の陸上競技選手及び野球選手である。彼は、1912年に開催されたストックホルムオリンピックの円盤投で銀メダルを獲得した。
経歴
[編集]バードは、ストックホルムオリンピックで4つの陸上競技種目に出場している。そのうち、7月12日に実施された円盤投では、同じくアメリカ代表で当時の世界記録保持者だったジェームズ・ダンカンの成績をわずかに上回ったものの、フィンランド代表のアルマス・タイパレに3メートル近い大差で敗れて銀メダリストとなった[1]。
その他に出場した立ち高飛び、立ち幅跳び、円盤投(両手投げ)[2] では、いずれもメダル獲得はならなかった。
なお、彼はこのオリンピックで公開競技として行われた野球競技にも、アメリカ合衆国代表として出場している[3][4][5]。
その後アメリカ海軍で海兵隊の大尉となり、1919年にパリで開催された大会では円盤投で優勝した。同年には、AAU主催大会でも円盤投で2位の成績を収めた。
オリンピックでの成績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1912 | ストックホルムオリンピック | ストックホルム(スウェーデン) | 立ち高跳び | 4位タイ | 1.50m |
1912 | ストックホルムオリンピック | ストックホルム(スウェーデン) | 立ち幅跳び | 8位 | 3.12m |
1912 | ストックホルムオリンピック | ストックホルム(スウェーデン) | 円盤投 | 2位 | 42.32m |
1912 | ストックホルムオリンピック | ストックホルム(スウェーデン) | 円盤投(両手投げ) | 17位 | 右手:40.10m 左手:22.22m |
脚注
[編集]- ^ Athletics at the 1912 Stockholm Summer Games:Men's Discus Throw[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2011年2月19日閲覧。
- ^ 円盤投(両手投げ)は、この大会のみで実施された。
- ^ Baseball in the Olympics 2011年2月19日閲覧。
- ^ OfficialReports 2011年2月19日閲覧。
- ^ ストックホルムオリンピックでの野球競技は、スウェーデン代表チーム対アメリカ代表チームが1試合、アメリカ東西対抗1試合の計2試合が行われた。但し、スウェーデン代表チームは人数不足だったため、アメリカチームから立ち高飛びなどで2個のメダルを獲得したベンジャミン・アダムスなど4名が人数調整として参加している。 バードは、アメリカ東西対抗試合では西軍「フィンランズ」(Finlands)の投手兼右翼手として出場している。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- リチャード・バード - Olympedia