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リチャード・バス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リチャード・バス
Richard Bass
生誕 リチャード・ダニエル・バス
Richard Daniel Bass

(1929-12-21) 1929年12月21日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オクラホマ州タルサ
死没 2015年7月26日(2015-07-26)(85歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国テキサス州ダラス
職業 経営者・投資家・登山家
著名な実績 世界初の七大陸最高峰登頂者
配偶者 Rita Crocker英語版 (離婚)
Marian Martin (離婚)
Alice Wosham
子供 男2人、女2人
Harry W. Bass Sr.英語版
Wilma Schuessler
親戚 Harry W. Bass Jr.英語版 (兄)
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リチャード・ダニエル(ディック)・バス(Richard Daniel "Dick" Bass、1929年12月21日 - 2015年7月26日)は、アメリカ合衆国経営者投資家登山家である。ユタ州スノーバードにあるスキー場のオーナーであり、ディズニーの大株主として経営回復の道をひらき、また50歳を過ぎて始めた登山で、全ての七大陸最高峰への登頂に初めて成功したことで知られる。ビジネスパートナーである兄のハリー(世界的なコインコレクター)とともにバス兄弟と呼ばれた。日本人では1983年のビンソン・マシフ登攀隊(クリス・ボニントンが隊長)でスキー滑降のためにチームに加わった三浦雄一郎と親交があった。

1985年にエベレストに登頂し、55歳だった彼は、当時の最高齢のエベレスト登頂者となった[1]。彼はデイビット・ブリーシアーズ英語版およびネパール人シェルパのAng Phurbaと共に登頂し、その年の4月にイギリス人登山家クリス・ボニントンが5年ぶりに破った最年長記録を更新した[1][2]。バスの記録は1993年に当時60歳のRamon Blancoが更新した[2]

若年期

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リチャード・バスは1929年12月21日にオクラホマ州タルサで生まれた[3][4][5]。彼の父、ハリー・W・バス・シニア英語版は、Goliad CorporationとGoliad Oil and Gas Corporationの共同設立者であった[6]。兄にハリー・W・バス・ジュニア英語版がいる[4][6]。1932年、バスの一家はテキサスに移った。

バスはテキサス・カントリー・デイ・スクールとダラスのハイランド・パーク高校で教育を受けた[3][4]。16歳でイェール大学に入学し、1950年に地質学の学位を取得して卒業した[3]テキサス大学大学院を修了した後、2年間アメリカ海軍に勤務し、朝鮮戦争中に空母エセックスに乗艦した[3][7]

業績

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バスは1953年にテキサス州に戻り、家業の石油ガス事業と牧畜業の運営に加わった[8]。彼はテキサス州中央部の牧場の所有者だった[4]

1960年代、バスはコロラド州ベイル英語版のスキー場の開発に10,000ドルを投資した[7]。彼はベイルに大きな私邸を建設し、後にジェラルド・フォード大統領の家族を冬に招待した[6][7]。彼は1966年から1971年までベイル・アソシエイツ社の取締役だった[5][7]

バスは1971年に投資家テッド・ジョンソンと共にとスノーバードスキー場をオープンした[5]。彼は2014年5月に売却するまで株式を独占して所有していた[5]

登山

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バスは、ウォルト・ディズニー・カンパニー社長になるフランク・ウェルズと共に、七大陸最高峰への登頂に挑戦することを決めた。ここでいう七大陸最高峰とは、北アメリカ大陸デナリ南アメリカ大陸アコンカグアヨーロッパ大陸エルブルス山アフリカ大陸キリマンジャロ南極大陸ヴィンソン・マシフオーストラリア大陸コジオスコアジア大陸エベレストである[3]

エベレストを除く6座は2人で登頂に成功したが、エベレストは最初の挑戦で登頂に失敗した。その後3度の挑戦で、1985年4月30日にエベレストへの登頂に成功し、世界初の七大陸最高峰登頂者となった。また、当時の最高齢のエベレスト登頂者にもなった。なお、ウェルズはこの時も登頂に失敗し、その後何度も挑戦したが、1994年にネバダ州でのスキー旅行からの帰りにヘリコプター墜落事故で死亡した[4]。バスとウェルズは共同で、七大陸最高峰への挑戦を記した『Seven Summits』という本を出した[3][4][3]

ジョン・クラカワーは著書『空へ』(Into Thin Air)[9]で、バスのエベレスト登頂によって、山が「ポストモダン時代」に引き上げられ、商業ガイド付き遠征が大きなビジネスとなり、経験の少ない登山者がこれらの企業に大金を支払って登頂することを奨励したと主張している。

私生活

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バスは3回結婚している[3]。1度目の相手はリタ・クロッカー英語版である[3]。リタと離婚した後、マリアン・マーティンと再婚した[3]が、これも離婚している。その後、アリス・ウォーシャムと結婚した[3]

病死

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バスは2015年7月26日にテキサス州ダラス特発性肺線維症により亡くなった[3][4][5]。葬儀は7月31日にダラスのSt. Michael and All Angels Episcopal Churchで行われた[5]

脚注

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  1. ^ a b STALL, BILL (1985年5月2日). “Conquers Mt. Everest to Fulfill Dream : Millionaire First to Climb Summits of All Continents” (英語). Los Angeles Times. ISSN 0458-3035. http://articles.latimes.com/1985-05-02/news/mn-20109_1_climbed-mt-everest 2017年6月14日閲覧。 
  2. ^ a b “Everest Bound Kettle Falls Man Seeks To Be One Of The Oldest Ever To Reach The Top Of The World” (英語). Spokesman.com. http://www.spokesman.com/stories/1995/feb/05/everest-bound-kettle-falls-man-seeks-to-be-one-of/ 2017年6月14日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l Weber, Bruce (July 30, 2015). “Richard D. Bass, Ski Resort Developer Who Climbed Tallest Peaks, Dies at 85”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2015/07/31/sports/international/richard-d-bass-ski-resort-developer-and-climber-of-tallest-peaks-dies-at-85.html?ref=obituaries&_r=1 January 17, 2016閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g Peppard, Alan; Granberry, Michael. “Dallas exec and mountain climber Dick Bass dies at 85”. The Dallas Morning News. http://www.dallasnews.com/obituary-headlines/20150727-dallas-businessman-and-adventurer-dick-bass-dies-at-85.ece January 17, 2016閲覧。 
  5. ^ a b c d e f Tholen Rosenlof, Celeste (July 27, 2015). “Snowbird co-founder dies in Dallas home”. KSL. https://www.ksl.com/?sid=35684301&nid=148&fm=most_popular&s_cid=popular-8 January 17, 2016閲覧。 
  6. ^ a b c Heinsen, Lindsay (February 1979). “Owning a Piece Of the Rockies: How Harry Bass got to be king of the mountain”. D Magazine. http://www.dmagazine.com/publications/d-magazine/1979/february/owning-a-piece-of-the-rockies January 17, 2016閲覧。 
  7. ^ a b c d Wyrick, Randy (July 27, 2015). “Vail pioneer Dick Bass dies in Dallas”. Vail Daily. http://www.vaildaily.com/news/17457281-113/vail-pioneer-dick-bass-dies-in-dallas January 17, 2016閲覧。 
  8. ^ Everest History.com - Dick Bass Bio
  9. ^ Krakauer, Jon (1997). Into Thin Air. Villard. ISBN 0-385-49208-1 

外部リンク

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