リタ・バルベラ
リタ・バルベラ Rita Barberá | |
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2008年10月 | |
生年月日 | 1948年7月16日 |
出生地 | スペイン、バレンシア県バレンシア |
没年月日 | 2016年11月23日(68歳没) |
死没地 | スペイン、マドリード州マドリード |
出身校 |
バレンシア大学 マドリード・コンプルテンセ大学 |
前職 | ジャーナリスト |
所属政党 |
国民同盟(AP、1976-1989) 国民党(PP、1989-2016) |
親族 | ホセ・バルベラ・アルメーリェス(父) |
サイン | |
バレンシア市長 | |
在任期間 | 1991年7月5日 - 2015年6月13日 |
バレンシア州議会議員 | |
在任期間 | 1983年5月8日 - 2015年7月31日 |
在任期間 | 2015年7月23日 - 2016年11月23日 |
マリア・リタ・バルベラ・ノーリャ(スペイン語: María Rita Barberá Nolla, 1948年7月16日 - 2016年11月23日)は、スペイン・バレンシア出身の政治家。国民党(PP)所属。1983年から2015年までバレンシア州議会議員を務め、同時に1991年から2015年までバレンシア市長を務めた。2015年から2016年の死去時までスペイン国会上院議員を務めた。1995年から2003年までスペイン自治体・県連盟(FEMP)会長を務めた。
両親
[編集]母親はセラミック工場を興したミゲル・ノーリャの子孫かつ工場の相続人であり[1]、父親のホセ・バルベラ・アルメーリェスはエル・コレオ・ガリェゴ紙でディレクターを務めたジャーナリストである[2][3]。父親はバレンシア記者協会で30年以上も会長を務め[4][1]、バレンシア市議会議員も務めた[5]。
経歴
[編集]政界進出前
[編集]1948年7月16日にバレンシアに生まれた。バレンシア大学経済学部で学び、政治学・経済学・経営学の学位を取得した。マドリード・コンプルテンセ大学ではジャーナリズムを学び、情報学の学位を取得した。ラジオ・バレンシアでジャーナリストとして働いた。
バレンシア市長
[編集]1987年から1990年には国民同盟(AP)バレンシア州支部長を務めた。1991年、スペイン社会労働党(PSOE)のクレメンティーナ・ロデナスの後任としてバレンシア市長に就任した。1995年にはア・コルーニャ市長のフランシスコ・バスケス・バスケスからスペイン自治体・県連盟(FEMP)会長の座を引き継ぎ、2003年にバスケス・バスケスに引き継ぐまで8年間会長を務めた。
1995年-1999年(2選)、1999年-2003年(3選)、2003年-2007年(4選)、2007年-2011年(5選)、2011年-2015年(6選)と、6期24年にわたってバレンシア市長を務めた。バレンシア市長の座にあった2008年スペイン議会総選挙時には、国会議員に転身するという提案を断っている[6]。
バレンシア育ちであるものの、現地語であるバレンシア語(カタルーニャ語の方言)ではなくスペイン語を使っていた。2015年に同市の火祭りでの開会宣言を行った際に、文法・語彙の両方において間違いだらけのバレンシア語を喋り、批判を浴びた。その中でも(春の)「陽気」を意味すると思われるエル・カロレー(El Caloret)は流行語になり(正しくはラ・カロレータ、La Caloreta)、カタルーニャ語圏のみならずスペイン全国で知られることになった。
上院議員
[編集]2015年5月24日のバレンシア市議会議員選挙で、バルベラが筆頭候補を務める国民党は10議席を獲得して第一党の座を維持した。しかし前回選挙からは10議席を失い、過半数の17議席に達しなかった。市長指名投票では左派が結集し、17票を獲得したジョアン・リボーが市長に指名された。10票だったバルベラは市長を退任した。2015年7月23日にはスペイン国会上院議員に就任した。2015年スペイン議会総選挙の結果選出されたのではなく、バレンシア州議会の指名によって選出されたものである。
2016年4月21日、調査裁判官はバルベラをマネーロンダリングの疑いでスペイン最高裁判所に起訴した[7]。最高裁判所は9月13日に公式な調査を開始した。一般的にこれは起訴前の段階であり、国民党はバルベラに対して上院議員の辞職を求めたが[8][9]、バルベラは国民党を離脱して無所属の上院議員となり、上院議員の辞職を拒否した[9][10]。死去するまで、バルベラは国民党との交流や国民党の方針への投票をつづけた[11]。
2016年11月23日、マドリードのホテル「ビリャ・レアル・デ・マドリード」滞在中に心臓発作を起こして死去した。11月21日には最高裁判所でマネーロンダリングについての証言を行ったばかりだった[12]。
脚注
[編集]- ^ a b “Todo lo que no sabes de Rita Barberá”. エル・ムンド (2016年2月5日). 2016年11月23日閲覧。
- ^ “Fallece Carmen Nolla, madre de la alcaldesa y viuda del periodista José Barberá”. レバンテ (2013年1月25日). 2016年11月23日閲覧。
- ^ “José Barberá, periodista y padre de la alcaldesa de Valencia”. エル・パイス (1993年10月6日). 2016年4月24日閲覧。
- ^ “En el centenario de tres directores”. レバンテ (2016年2月5日). 2016年11月24日閲覧。
- ^ Las inundaciones de Valencia de 1957. Números 21 y 22 (extraordinarios) de Propiedad y Construcción. p. 192.
- ^ “Seis alcaldes del PP concurren como cabeza de lista al Congreso”. エル・パイス (17 January 2008). 2016年11月23日閲覧。
- ^ “Dos jueces piden al Supremo que impute a Rita Barberá por blanqueo de capitales y desobediencia”. エル・パイス (21 April 2016). 2016年11月23日閲覧。
- ^ “Ximo Puig: "Barberá debe dejar la vida política por decencia"”. エル・パイス (13 September 2016). 2016年11月23日閲覧。
- ^ a b “スペイン リタ・バルベラ上院議員 辞職の意向無し”. Press Digital Japan (2016年4月22日). 2016年11月23日閲覧。
- ^ “Rita Barberá se da de baja en el PP pero se aferra al escaño en el Senado”. エル・パイス (14 September 2016). 2016年11月23日閲覧。
- ^ “La foto más comentada del estreno de Barberá en el grupo mixto”. エル・パイス (29 September 2016). 2016年11月23日閲覧。
- ^ “Rita Barberá muere de un infarto en un hotel de Madrid”. エル・パイス (2016年11月23日). 2016年11月23日閲覧。