リゴベール・ソング
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名前 | ||||||
本名 |
リゴベール・ソング・バアナグ Rigobert Song Bahanag | |||||
ラテン文字 | Rigobert SONG | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
カメルーン フランス | |||||
生年月日 | 1976年7月1日(48歳) | |||||
出身地 | ヌカンリコック | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB, RB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992-1994 | トネール | |||||
1994-1998 | メス | 123 | (3) | |||
1998-1999 | サレルニターナ | 4 | (1) | |||
1999-2000 | リヴァプール | 34 | (0) | |||
2000-2002 | ウェストハム | 24 | (0) | |||
2001-2002 | → ケルン (loan) | 16 | (0) | |||
2002-2004 | RCランス | 63 | (3) | |||
2004-2008 | ガラタサライ | 104 | (4) | |||
2008-2010 | トラブゾンスポル | 46 | (0) | |||
1992-2010 | 通算 | 417 | (11) | |||
代表歴2 | ||||||
1993-2010[1] | カメルーン | 137 | (4) | |||
監督歴 | ||||||
2012-2015 | カメルーン(アシスタント) | |||||
2016-2018 | カメルーン A' | |||||
2018 | カメルーン(暫定) | |||||
2018-2022 | カメルーン U-23 | |||||
2022- | カメルーン | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年8月29日現在。 2. 2010年6月25日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
リゴベール・ソング・バアナグ(Rigobert Song Bahanag, 1976年7月1日 - )は、カメルーン・ヌカンリコック出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック及び右サイドバック)。現在はカメルーン代表の監督を務めている[2]。
クラブ歴
[編集]初期
[編集]FCメスでは1996年のクープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝に貢献。1998年には、セリエAに昇格したUSサレルニターナ1919へ移籍する。
リヴァプール
[編集]1999年1月、2.7百万ポンドの移籍金でプレミアリーグのリヴァプールFCに加入[3]。クラブ初のカメルーン人選手として、アウェーのコヴェントリー・シティFC戦でリーグデビューとなった[4]。1999-00シーズンはアフリカネイションズカップ参加のため3か月間クラブから離脱するなど、ポジションを確立できなかった。2000年夏にはジェラール・ウリエ監督がシドニー・オリンピックへの派遣を拒否するなど、戦力として数えられていた[5]。翌シーズンはマルクス・バッベルやクリスティアン・ツィーゲらの加入もあり[6]、開幕3か月で4試合の途中出場に止まる。2000年9月23日のサンダーランドAFC戦がレッズでの最後の出場となった。同クラブでは公式戦38試合に出場した。
ウェストハム
[編集]同年11月、ハリー・レドナップ率いるウェストハム・ユナイテッドFCに移籍。先に売却したリオ・ファーディナンドの後釜として、2.5百万ポンドの移籍金で加入した[5]。29日のリーグカップ、ブーリン・グラウンドにシェフィールド・ウェンズデイFCを迎えた一戦で移籍後初出場となった。2001-02シーズンよりグレン・ローダーが新監督に就任すると不遇を託ち、11月に1.FCケルンへ期限付き移籍することとなった[7]。約1年間の在籍で27試合出場無得点。ハマーズでの最終戦は0-5と大敗したエヴァートンFCとのリーグ戦となった[8]。
ケルン、RCランス
[編集]2011年11月、ブンデスリーガで下位に喘ぐ1.FCケルンにシーズン終了までのローンで加入[9]。加入後はアフリカネイションズカップ2002での離脱を除き全試合で先発したが、クラブは2部降格となった。2002-03シーズンよりRCランスへ移籍し、フランスへ舞い戻る[10]。
トルコ時代
[編集]2004-05シーズンより、スュペル・リグのガラタサライSKへ1.5百万米ドルの移籍金で加入する[11]。クロアチア代表スティエパン・トマスとセンターバックのコンビを組み強固な守備陣を形成[12]。テュルキエ・クパス優勝や翌シーズンのリーグ制覇に貢献した。2007年2月18日に行われたガズィアンテプスポルとの試合中、エリック・ヘーレツ監督と口論となる[13]。後に謝罪したが[14]、出場機会は減少した[15]。2007-08シーズンよりカール=ハインツ・フェルトカンプが指揮官に就任するとポジションを奪還し、新たにキャプテンに任命される[16]。アフリカネイションズカップ2008から戻ると、自身の負傷に加えエムレ・ギュンギョルやセルヴェト・チェティンらの台頭によりベンチを温めたが、クラブは16度目のリーグ優勝を達成した。
2008-09シーズンより、トラブゾンスポルと2年契約を締結[17]。28試合に出場しカードを一切受けなかったが、2009年4月にエルスン・ヤナルが辞任するとポジションを失う[18]。12月に新監督として招聘されたシェノル・ギュネシュの下ではキャプテンを務め[19]、2009-10シーズンのリーグカップを獲得した。同クラブのサポーターからは「Büyük Şef」(偉大なキャプテン)と称された[18]。
代表歴
[編集]1993年にメキシコとの親善試合でカメルーン代表デビュー。以後キープレーヤーとして18年に亘ってプレーし、アンリ・ミシェルにより1994年アメリカ大会に招集されて以降、1998年フランス大会、2002年日韓大会、2010年南アフリカ大会と、4度のワールドカップに出場した。
17歳当時にアメリカW杯で受けた退場処分は大会最年少記録であり、フランスW杯では大会史上初めて2大会連続でレッドカードを提示される。2つのワールドカップで退場となったのは、他にジネディーヌ・ジダンのみである[20]。また、アメリカW杯でキャプテンを務めたロジェ・ミラとの24年42日というチーム内年齢差は、大会における歴代最大記録である[21]。
アフリカネイションズカップでは、キャプテンとして2000年大会から2連覇を達成。計8大会への参加や、5大会でのキャプテン就任、そして35試合連続の出場はいずれも大会歴代最多記録である。
2008年5月31日のカーボベルデ戦で先制点となる代表初ゴールを挙げ、2-0での勝利に貢献した[22]。
2009年にポール・ル・グエンが代表監督に就任すると、サミュエル・エトオにキャプテンの座を譲る。8月12日のオーストリアとの親善試合において、ここ10年間で初めてスタメンを外れた[23]。
2010 FIFAワールドカップでは日本との開幕戦でベンチスタートとなり、チームは本田圭佑のゴールにより0-1で敗れる[24]。試合後、自身をはじめ年長の選手は若手主体でチームを構成するル・グエンにメンバーの再考を求めた[25]。しかし続くデンマーク戦でも起用されず1-2で敗戦し、グループリーグ敗退が決定。オランダとのGL最終戦で、ニコラ・ヌクルとの交代で73分からピッチに立ち、W杯4大会出場を達成した[26]。1-2で敗れ大会を終えると、8月1日に代表引退を表明した[27]。代表でのキャップ数は137を数え、カメルーン代表の最多試合出場選手となっている[28]。
指導歴
[編集]2015年10月、チャド代表の監督に就任[29]。しかし11月のエジプト戦では不在で[30]、結局国際サッカー連盟に正式承認されることはなかった[31]。
2018年にはカメルーン代表の暫定監督を務める[32]。同年10月18日、U-23カメルーン代表の監督に就任することが発表された[2]。
2022年3月1日、トニ・コンセイソン(英語: Toni Conceição)の後任としてカメルーン代表監督への就任が発表された。[33]
人物
[編集]既婚であり、2女1男を儲けている[34]。同じくプロサッカー選手のアレクサンドル・ソングは甥。
2016年10月3日、ヤウンデの自宅で脳卒中に倒れ昏睡状態に陥った[35]。翌日には意識を回復すると、フランスの病院に移送される[36]。その後は快方に向かい、12月24日にはレキップのインタビューで経緯を語った[37]。
代表歴
[編集]出場大会
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 135試合 5得点(1993年-2010年)[38]
カメルーン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1993 | 1 | 0 |
1994 | 5 | 0 |
1995 | 2 | 0 |
1996 | 5 | 0 |
1997 | 7 | 0 |
1998 | 12 | 1 |
1999 | 3 | 1 |
2000 | 11 | 0 |
2001 | 10 | 0 |
2002 | 15 | 0 |
2003 | 7 | 0 |
2004 | 11 | 1 |
2005 | 7 | 1 |
2006 | 7 | 0 |
2007 | 6 | 0 |
2008 | 12 | 1 |
2009 | 7 | 0 |
2010 | 6 | 0 |
通算 | 135 | 5 |
タイトル
[編集]- メス
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ : 1995-96
- ガラタサライ
- トラブゾンスポル
- テュルキエ・クパス : 2009-10
- カメルーン代表
脚注
[編集]- ^ “Rigobert Song Bahanag - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b “2年前の脳卒中から完全復活! カメルーンの闘将リゴベール・ソング氏が東京五輪目指すU-23チームの監督に”. 超ワールドサッカー (2018年10月19日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Ged's £128m spending - in full!”. The Guardian (2004年5月24日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Cool Coventry wreck Reds”. BBC Sport (1999年1月30日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ a b “Song completes Hammers move”. BBC Sport (2000年11月28日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “West Ham go for Anfield's Song at £2.5m”. The Guardian (2000年11月23日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Song set for Cologne loan”. Sky Sports. 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Everton thrash West Ham”. BBC Sport (2001年9月29日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Kein Beton und keine Power”. taz.ze (2001年11月26日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Song goes to Lens”. BBC Sport (2002年6月27日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Galatasaray grab Song”. BBC Sport (2004年7月12日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “ÖZEL RÖPORTAJ”. Goal.com (2019年1月15日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Gerets-Song kapıştı”. Milliyet (2007年2月18日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Song, Gerets'ten özür diledi”. Hürriyet (2007年2月20日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Song:"Gerets'e rağmen yılmadım"”. BeIN Sports (2007年7月21日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Şaş'ın pabucu dama atıldı”. Yeni Mesaj (2007年10月15日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Song Trabzonspor'da”. İhlas Haber Ajansı (2008年6月24日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ a b “Song gözden düştü”. Hürriyet (2017年5月9日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Trabzonspor'un kaptanı Song oldu”. Hürriyet (2009年12月2日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “WATCH: Rigobert Song makes history in France”. AfricanFootball.com (2020年7月1日). 2020年8月25日閲覧。
- ^ “Roger Milla: Indomitable Lionheart”. ESPN (2010年3月9日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Cameroon take Group 1 lead”. BBC Sport (2008年5月31日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Song left out of Cameroon team”. BBC Sport (2009年8月12日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “World Cup 2010: Japan v Cameroon - as it happened”. The Guardian (2010年7月14日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Pressure builds on Paul Le Guen as Cameroon prepare for Denmark”. The Guardian (2010年7月19日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “World Cup 2010: Cameroon v Holland - as it happened!”. The Guardian (2010年7月24日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Cameroon great Rigobert Song quits internationals”. BBC Sport (2010年8月1日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Cameroon legend Rigobert Song reveals proudest achievement of his career”. Goal.com (2020年8月15日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “カメルーンの英雄、リゴベール・ソング氏がチャド代表監督に就任”. 超ワールドサッカー (2015年10月27日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Chad stun Egypt in N'Djamena”. AfricanFootball.com (2015年11月14日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Warrior Chadians keep clawing”. FIFA.com (2015年12月24日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Sven-Goran Eriksson holds talks with Cameroon over coach's job”. AS.com (2018年8月1日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “2大会ぶりW杯出場目指すカメルーン代表、ソング氏が監督就任…アルジェリア代表と3月に決戦”. 2022年3月1日閲覧。
- ^ “Rigobert Song: «L'heure est venue de passer le témoin à une autre génération≫”. Journal du Cameroun.com (2010年8月2日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “元カメルーン代表ソング氏、意識不明の重体と仏紙”. 日刊スポーツ (2016年10月3日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “元カメルーン代表のソング氏が意識回復、今後はフランスの病院へ”. AFPBB.com (2016年10月5日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “「死の淵から戻った」、回復したソング氏が仏紙のインタビューに応じる”. AFPBB.com (2016年12月25日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ リゴベール・ソング - National-Football-Teams.com
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- Rigobert Song Officiel (@Song_Officiel_4) - X(旧Twitter)
- Rigobert Song (@song_officiel_4) - Instagram
- Rigobert Song Bahanag (teamspiritprayingspirit) - Facebook
- リゴベール・ソング - National-Football-Teams.com
- リゴベール・ソング - Soccerbase.comによる選手データ
- リゴベール・ソング - FootballDatabase.eu
- リゴベール・ソング - WorldFootball.net
- リゴベール・ソング - Transfermarkt.comによる選手データ
- リゴベール・ソング - Transfermarkt.comによる指導者データ
- リゴベール・ソング - FIFA主催大会成績
- リゴベール・ソング - トルコサッカー連盟 (player)
- リゴベール・ソング - レキップ
- リゴベール・ソング - playmakerstats.com
- Rigobert SONG - FC Metz
- カメルーンのサッカー選手
- カメルーンのサッカー指導者
- サッカーカメルーン代表選手
- トネール・ヤウンデの選手
- FCメスの選手
- USサレルニターナ1919の選手
- リヴァプールFCの選手
- ウェストハム・ユナイテッドFCの選手
- RCランスの選手
- 1.FCケルンの選手
- ガラタサライの選手
- トラブゾンスポル・クラブ (サッカー) の選手
- FIFAワールドカップカメルーン代表選手
- 1994 FIFAワールドカップ出場選手
- 1998 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2001出場選手
- 2002 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2003出場選手
- 2010 FIFAワールドカップ出場選手
- 2022 FIFAワールドカップ監督
- FIFAセンチュリークラブ
- 1976年生
- 存命人物