リカルド・ボフィル
表示
リカルド・ボフィル(Ricardo Bofill Leví、1939年12月5日 - 2022年1月14日)は、スペイン・バルセロナ出身の建築家。日本ではリカルド・ボフィールの表記も見られる。
経歴
[編集]1939年にカタルーニャ地方のバルセロナに生まれる。バルセロナ建築高等技術学校(現在のカタルーニャ工科大学建築学部)およびスイスのジュネーヴ大学で学ぶ。フランコ独裁政権に抗してマルキストになり、一時投獄された経験をもつ。大学から追放されたが、ジュネーブで建築学を続けた。1962年、建築家やエンジニアばかりでなく、文筆家・数学者・写真家・哲学者・経済学者・社会学者と多彩な分野の人々がスタッフに加わるクリエール・タイエ・デ・アルキテクトゥーラ(Taller de Arquitectura)を設立。
1963年、バルセロナに戻った。世界各地に拠点を構え、文化施設や高層ビル、空港など1000件以上のプロジェクトを手がけた[1]。2022年1月、新型コロナウイルス感染に伴う合併症のため82歳で死去した[2]。
主な作品
[編集]名称 | 年 | 所在地 | 国 | 備考 |
---|---|---|---|---|
ウォールデン7 | 1970年-1975年 | バルセロナ | スペイン | |
マルカ・ヒスパニカ公園 | 1974年-1976年 | ル・ペルテュ | フランス | |
アンティゴーヌ | 1978年 | モンペリエ | フランス | |
メリチェイの聖所 | 1974年-1978年 | カニーリョ教区 | アンドラ | |
ラ・マンサネラ | 1964年-1982年 | アリカンテ | スペイン | シャナドゥ、ラ・ムライヤロハ、エル・アンフィテアトロからなる複合リゾート |
アブラクサス館 | 1982年 | ノワジー=ル=グラン | フランス | |
[3] | 国立モスク1982年 | バグダッド | イラク | |
バルセロナ=エル・プラット空港 | 1992年 | バルセロナ | スペイン | |
ユナイテッドアローズ原宿本店 | 1992年 | 東京都渋谷区 | 日本 | |
マドリッド市議会 | 1993年 | マドリード | スペイン | |
国立カタルーニャ劇場 | 1997年 | バルセロナ | スペイン | |
カサブランカ・ツインセンター | 1999年 | カサブランカ | モロッコ | |
明治安田生命青山パラシオ | 1999年 | 東京都港区 | 日本 | |
東京銀座資生堂ビル | 2001年 | 東京都中央区 | 日本 | 2002年度グッドデザイン賞受賞。 |
ラゾーナ川崎プラザ | 2006年 | 神奈川県川崎市 | 日本 |
ギャラリー
[編集]-
スペイン、バルセロナ、ウォールデン7
-
スペイン、アリカンテ、ラ・ムライヤロハ
-
東京都渋谷区、ユナイテッドアローズ原宿本店
-
スペイン、マドリッド、マドリッド市議会
-
スペイン、バルセロナ、国立カタルーニャ劇場
訳書
[編集]参考文献
[編集]- クリスチャン・ノルベルク=シュルツ(三宅理一訳)
- 『リカルド・ボフィル/タリエール・デ・アルキテクトゥラ』GAアーキテクト4 世界の建築家(A.D.A.EDITA、1985年)
- 「リカルド・ボフィール 1995-2000」『SD』03号(鹿島出版会、2000年)
- 谷口江里也『リカルド・ボフィル 作品と思想』未知谷 2018年
脚注
[編集]- ^ “スペイン建築家リカルド・ボフィル氏死去 82歳”. AFPBB News. 2022年1月23日閲覧。
- ^ “リカルド・ボフィル氏死去(スペインの建築家)”. 時事通信社. 2022年1月23日閲覧。
- ^ https://ricardobofill.com/projects/state-mosque/