ラーマチャンドラ・パント・アマーティヤ
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
ラーマチャンドラ・パント・アマーティヤ(マラーティー語:रामचंद्रपंत अमात्य, Ramachandra Pant Amatya, 1650年頃 - 1716年)は、インドのデカン地方、マラーター王国の政治家。財務大臣(アマーティヤ)であり宰相(ペーシュワー)でもあった。
生涯
[編集]1650年頃、ラーマチャンドラ・パントはバラモンの家系に生まれた。
1672年以降、マラーターの指導者シヴァージーに仕え、1674年にマラーター王国が建国されると、財務大臣(アマーティヤ)に任命された[1]。
1689年、マラーター王サンバージーがムガル帝国の皇帝アウラングゼーブ殺害されると、新たにマラーター王となったラージャーラームはシェンジ(ジンジー)に逃げ、その地を王都とした[2]。だが、シャンカラージー・ナーラーヤン・サチーヴはラーマチャンドラ・パントとともにマハーラーシュトラに残り、西ガート山中の城を拠点に残された領土の行政にあたった[2]。
また、サンバージーとともに宰相も殺害されたため、同年にラーマチャンドラ・パントは宰相(ペーシュワー)に任命され、1708年に退任するまでその地位にあった。
1716年、ラーマチャンドラ・パントは死亡した。
脚注
[編集]- ^ Shivaji, the great Maratha, Volume 2, H. S. Sardesai, Genesis Publishing Pvt Ltd, 2002, ISBN 81-7755-286-4, ISBN 978-81-7755-286-7
- ^ a b 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.211
参考文献
[編集]- 小谷汪之編『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年