コンテンツにスキップ

ラ・マルティル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
La Martyre


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) フィニステール県
(arrondissement) ブレスト郡
小郡 (canton) プルディリ小郡
INSEEコード 29144
郵便番号 29800
市長任期 ピエール・ケレネック
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays de Landerneau-Daoulas
人口動態
人口 763人
2010年
人口密度 42人/km2
住民の呼称 Martyriens
地理
座標 北緯48度27分 西経4度10分 / 北緯48.45度 西経4.17度 / 48.45; -4.17座標: 北緯48度27分 西経4度10分 / 北緯48.45度 西経4.17度 / 48.45; -4.17
標高 平均:m
最低:49m
最高:191 m
面積 18.01km2
La Martyreの位置(フランス内)
La Martyre
La Martyre
公式サイト / Site de la commune
テンプレートを表示

ラ・マルティルLa Martyreブルトン語:Ar Merzher-Salaun)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

歴史

[編集]
サン・サロモン教会の入口

教区は、かつては古いプルディリ教区の小教区であった。小教区の教会はもともとはノートルダム・ド・インヴォカションの下にあった(1363年にはecclesiae Beatae Mariae du Merzer、1428年にはNotre-Dame du Merzerと呼ばれていた[1])。

村は、874年6月25日に起きた事件によって、今のブルトン語とフランス語の名称で呼ばれるようになった。教会の中へ避難していた最後のブルターニュ王サロモン(fr)が暗殺されたのである(サロモンは修道院付属教会へ逃げ込み、そこで彼は信じがたいほどの野蛮な扱いを受けた。彼は暴力を受けて視力を失い、夜に亡くなった[2])。確かに、教会はラ・マルティル("La Martyre"、受難者。ブルトン語ではAr Merzher)と呼ばれていた[3]。Salaünとはサロモンのブルトン語名である。これは教会内を流血で冒涜した事件の記録である。村そのものがラ・マルティルと呼ばれるようになった。サロモンはその犠牲と美徳によって910年に列聖された(聖サロモンは、バチカンのウェブサイト内のカトリック殉教者の歴史内に登場する[4])。しかしこの伝説は、サロモン終焉の地であると主張するプレロフとの間で論争になっている[5]コート=ダルモール県には、同じく殉教者を意味する名称を持つコミューン、ル・メルゼル(Le Merzer)が存在する。そこにある教区教会ノートルダム・デ・セプト・ドゥルールは、聖サロモンに捧げられている。

教区の名前の由来として他にも説がある。1683年の教区の織物職人の話では、ノルマン人侵攻さなかのヴァイキングが犯した虐殺の記録を思い出させるものだという。その記憶は処女マリアに捧げた礼拝堂で生まれ、Ar Merzerと呼ばれるようになった[6]

中世のラ・マルティルでは、国際的な見本市が開かれていた。布生地が取引されていた。15世紀から16世紀には最も活発であった。言い伝えによれば、ウィリアム・シェークスピアの父が見本市にやってきたと言われている。

ラ・マルティルはレオン地方の重要な生地産業の地として知られていた。ギヨーム・アブグラルはラ・マルティルのラ・ロオロック集落の農民かつ生地商人で、彼はジュロ(fr)と呼ばれる裕福な階層であった。彼は1702年に生まれて1733年に死去したが、彼の財産目録によると、7657リーブルの遺産を残した。そのうち1130リーブルは布、白い糸と生成りの糸3500リーブルであった。当時のラ・マルティルには35箇所の洗濯場があったと特定されている[7]

1789年4月1日に起草されたレスネヴァンの代官への第三身分陳情書に、ラ・マルティルの代表2人が名を記している[8]

第二次世界大戦中の1944年5月22日、イギリス空軍の飛行機が墜落し、パイロットは負傷してドイツ軍に身柄を拘束された[9]

史跡

[編集]
  • 教会囲い地 - レオン地方最高のものとされている。11世紀から17世紀まで建設が続いた。入口の凱旋門は16世紀のゴシック・フランボワイヤン様式。
  • サン・サロモン教会 - 30年間に及ぶ修復事業が2010年に完了。後陣の3つの窓が取り替えられ、祭壇が設置された。
  • 南側ポーチ - ケルサントン石を用いて、キリストの生涯からいくつかのシーンを描いており、ティンパヌムとアーチ上は聖母マリアに捧げられている。

人口統計

[編集]
ラ・マルティルの人口増減グラフ
1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
509 527 575 580 596 730 769 763

参照元:1999年までEHESS[10]、2000年以降INSEE[11][12]

脚注

[編集]
  1. ^ Bernard Tanguy, Dictionnaire des noms de communes, paroisses et trèves du Finistère, Douarnenez, 1990
  2. ^ Alban Butler, Jean François Godescar, "Vies des pères, martyrs et des autres principaux saints", Volume 4, Lyon, F.Guyot, 1844
  3. ^ Dom. F. Plaine, "Saint Salomon, roi de Bretagne et martyr, 25 juin 874", éditeur Lafolye, Vannes, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5809932s.image.hl.r=Carhaix.f63.langFR
  4. ^ http://nominis.cef.fr/contenus/saint/10021/Saint-Salomon.html
  5. ^ M. de Mauny, Le pays de Léon. Bro Leon, Mayenne, 1993
  6. ^ M. Duval, Foires et marchés de Bretagne de l’Antiquité à la fin de l’Ancien Régime, Paris, 2001
  7. ^ Andrée Le Gall-Sanquer, Jean-Luc Richard, Marie-Louise Richard, "L'or bleu (An aour glaz) : le lin au pays de Landerneau-Daoulas", Association Dourdon, Cloître Imprimeurs, 2005, [ISBN 2-9505493-1-4]
  8. ^ J. Madival et E. Laurent, "fr:Archives parlementaires de 1787 à 1860 : recueil complet des débats législatifs et politiques des Chambres françaises", imprimé par ordre du Corps législatif. 1re série, 1787-1799, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k480097g/f496.image.r=Locquenole.langFR
  9. ^ Éric Rondel, La Bretagne bombardée, 1940-1944, éditions Ouest et Cie, 2011, [ISBN 9-782364-28007-6]
  10. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=21472
  11. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  12. ^ http://www.insee.fr