ラン・ポティセル
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『ラン・ポティセル』(ワイリー方式:rLangs-kyi Po-ti bSe-ru)は、パクモドゥパ政権を築いたチャンチュプ・ギェンツェンの自伝的史料。チャンチュプの業績を知る上での重要史料であるのみならず、モンゴル-サキャ派支配時代のチベットを研究する上での一級史料と位置づけられている。
『ラン氏族史』もしくは『ラン・ポティ・セルゥ』とも。
概要
[編集]『ラン・ポティセル』の編纂意図について、本所の末尾には以下のように記されている。
ギャの国(rgya'i yul)において法は保たれていないが、[これは]金字使者(ser yig pa)と使者たちの貪欲さの報いの結果そうなったのである。…中略…サキャパもまた、ラマよりも従者の方が力は大きく、村落の長(dpon tsho)よりも俗官(dpon skya)たちの方が力は大きく、すべての者より女性の方が力は大きいので、いまサキャパの教えが衰えているというのがこれ[その報いとしての結果]である。これらの誤りを理解することで、我々の集団に喜ばしい善いことと平穏を願うならば、一切の悪い行為を捨て去れ。目を下方に広げず、善い行為と例となる形式を覚えておくことだ。このようにすれば、平穏、喜び、善き事が現れ、円満になるのだ。パクモドゥパ集団の教え、大いなる戦略において、企図する御文書『意の如き宝の蔵』という書物が完成した。善きかな。 — チャンチュプ・ギェンツェン、『ラン・ポティセル』[1]
すなわち、ギャ(=大元ウルス)とサキャ派双方が堕落・衰退する中で、自らの属するパクモドゥパが先人の犯した過ちを繰り返さないために編纂されたのが『ラン・ポティセル』であった[2]。
中世チベット史書のほとんどがチベット仏教僧による著作であるのに対し、本書は在俗領主による著作という点が最大の特徴である。また、チャンチュプがモンゴル-サキャ派支配時代のチベットを生きた同時代人であるが故に、モンゴル支配時代にしか現れない用語(都元帥・万戸・ポンチェン)についても詳しく、しばしばモンゴル支配時代のチベット史研究に利用されている[3]。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 山本明志「モンゴル時代のチベットにおける都元帥」『チベット・ヒマラヤ文明の歴史的展開』、2018年
- 山本明志「「サキャパ時代」から「パクモドゥパ時代」へ」『東洋史研究』79 (4)、2021年