ラハム・ミフラーン
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ラハーム・ミフラーンは、ミフラーン家の出身のサーサーン朝の武官。ペーローズ1世の王位獲得に貢献した。
生涯
[編集]457年、サーサーン朝の皇帝ヤズデギルド2世が死んだ。その後継者として、ヤズデギルド2世の時代に権力を握っていたスーレーン家はヤズデギルドの息子ホルミズドを擁立した。対して、ミフラーン家は別の息子ペーローズを擁立した[1]。当初はホルミズドが優勢となり皇帝に即位した。しかし、ラハーム・ミフラーンの援助を受けたペーローズ1世の勢力が、459年にはライイでホルミズドを打ち破った[1]。そして、ラハームはペーローズを新しいサーサーン朝のシャーとして戴冠させた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 青木健『ペルシア帝国』講談社〈講談社現代新書〉、2020年8月。ISBN 978-4-06-520661-4。
- Pourshariati, Parvaneh (2008). Decline and Fall of the Sasanian Empire: The Sasanian-Parthian Confederacy and the Arab Conquest of Iran. London and New York: I.B. Tauris. ISBN 978-1-84511-645-3
- Shahbazi, A. Shapur (2004). "Hormozd III". Encyclopaedia Iranica, Vol. XII, Fasc. 5. pp. 465–466.