ラドフォード橋の戦い
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ラドフォード橋の戦い | |
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現在のラドフォード橋 | |
戦争:薔薇戦争 | |
年月日:1459年 10月12日 | |
場所:イングランド、シュロップシャーのラドフォード橋 | |
結果:ランカスター派の勝利 | |
交戦勢力 | |
ヨーク家 | ランカスター家 |
指導者・指揮官 | |
ヨーク公 ソールズベリー伯 ウォリック伯 マーチ伯 ラットランド伯 アンドリュー・トラロップ(離反) |
ヘンリー6世 バッキンガム公 ノーサンバランド伯 シュルーズベリー伯 ウィルトシャ―伯 デヴォン伯 バーモン子爵 |
戦力 | |
不明 | 不明 |
損害 | |
不明 | 不明 |
ラドフォード橋の戦い(Battle of Ludford Bridge)は、薔薇戦争の早い時期にヨーク派が最悪の損害をこうむった戦いである。
ブロア・ヒースの戦いでの勝利の後、ヨーク派はウスターに向かって進軍した。途中でヘンリー6世指揮する強大なランカスター軍に遭遇すると、すぐに拠点のあったシュロップシャー、ラドロー(Ludlow)のラドフォード橋まで後退した。
1459年10月12日、カレー方面軍司令官のアンドリュー・トラロップが部下を連れてランカスター派に寝返りし、ヨーク派の軍事・戦略情報と交換に恩赦を願い出た。これによってヨーク派は約3分の1と圧倒的な数的不利に追い込まれた。そのためその夜、ヨーク公と2人の息子、それからウォリック伯とソールズベリー伯は、勝ち目のないため撤退し、アイルランド(ヨーク公とラットランド伯)、あるいはカレー(ソールズベリー伯、ウォリック伯、マーチ伯)へ落ち延びた。
翌朝、指揮官がいなくなったことを知ってヨーク派は雲散した。ヨーク派の拠点であるラドローはランカスター派に略奪されるがままだったという。