コンテンツにスキップ

ヨーゼフ・グングル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨーゼフ・グングル
Josef Gungl
1874年
基本情報
別名 ベルリンのシュトラウス
生誕 1810年12月1日
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国 ジャームベーク
死没 (1889-02-01) 1889年2月1日(79歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国 ヴァイマル
ジャンル クラシック
職業 作曲家指揮者

ヨーゼフ・グングル(Josef Gung'l, 1809年12月1日 - 1889年2月1日)は、ハンガリー生まれの作曲家指揮者。「ベルリンのシュトラウス」と呼ばれた。

生涯

[編集]
若い頃のグングル

グングルはジャームベーク英語版ドイツ人を父として生まれた。彼はブダで教員として働きながら学校の合唱指揮者から音楽の手ほどきを受け、グラーツでまずオーボエ奏者となった。その後、25歳の時にオーストリア砲兵第4連隊の楽長に就任する[1]。彼の最初の音楽作品は1836年作曲のハンガリー行進曲であり、これは一定の注目を集めた。

グングルは1843年になるとベルリンにおいてオーケストラを組織した。この楽団を率いた彼は、1848年から1849年にかけて遠くアメリカ合衆国にまで演奏旅行に繰り出している[1][2]。グングルのオーケストラは非常に優れていたとされ、次のように伝えられている[3]

グングルのオーケストラには優れた才能の持ち主が集まっているが、そうした人々を確保できるのは、グングルが宮廷楽団の団員たちが得るのと同等の給料を支払っているからである。シューベルトのハ長調の交響曲とゲーゼのハ短調の交響曲は、繰り返し演奏されたことが一度ならずあった。

オーケストラの質は非常に高く、宮廷楽団との大きな違いは入場料くらいのものであった[3]。宮廷楽団が1ターラーの入場料を取って演奏するような音楽を、彼のオーケストラは2グロッシェン半あるいは5グロッシェンで提供した。(シュトラウス楽団など、多くの私設オーケストラ共通の特徴であるが)ダンス音楽から古典派の交響曲まで広く取り上げるグングルのオーケストラは、貴族社会を含めてベルリンでたちまち人気を得た[3]メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』完全版を初演したのはグングルの楽団であったと言われている。

1853年に彼はブルノの第23歩兵連隊の楽長に就任するが、1864年にはミュンヘンへ移った。1873年ロンドンロイヤル・オペラ・ハウスにおける一連のプロムナード・コンサートで大きな成功を収めた後、1876年からはフランクフルトを本拠地とした。最終的にはドイツオペラ歌手としてよく知られた実の娘と共にヴァイマルに落ち着き、彼はこの地で没した。

作品について

[編集]

グングルは非常な多作家であり、生涯に436曲もの舞曲を作曲した[1]。中でもよく知られるのはワルツアモレット・ダンス』や『ハイドロパテン』、『カジノ・ダンス』、『大海原の夢』、ポルカIn Stiller Mitternacht』、マズルカBlue Violets』などである。フランツ・リストはグングルのハンガリー行進曲を編曲している。グングルの音楽を特徴づけるのは、軽やかに流れ続ける旋律と明快なリズム感である。これらは唯一舞曲の分野でグングルの右に出るヨハン・シュトラウス2世の楽曲において際立っている。

作品一覧

[編集]
  • 『蒸気機関車ギャロップ』(Eisenbahn-Dampf-Galopp、op.5)
  • ワルツ『大海原の夢』(Träume auf dem Ozean、op.80)
  • 『フランツ・ヨーゼフ行進曲』(Franz-Joseph-Marsch、op.142)
  • ワルツ『ハイドロパテン』(Die Hydropathen、op.149)
  • ワルツ『アモレット・ダンス』(Amorettentänze、op.161)
  • 『ツァムベキ・チャールダッシュ』(Zsámbéki-Csárdás、op.163)
  • 『ナーレン・ギャロップ』(Narren-Galopp、op.182)
  • ポルカ『エルブレシェン』(Elbröschen、op.207)
  • ワルツ『カジノ・ダンス』(Casino-Tänze、op.237)
  • 『ナヤードのカドリーユ』(Najaden-Quadrille、op.264)
  • 『ベルリン・コンチェルトハウスのポルカ』(Berliner-Concerthaus-Polka、op.269)
  • ギャロップ『楽しい時も苦しい時も』(Durch dick und dünn、op.289)
  • 常動曲』(Perpetuum mobile、op.317)
  • ギャロップ『あなたは見ますか?』(Siehst du wohl?、op.319)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c Gung'l, Josef in Oxford Music Online”. Grove Music Online. 2008年10月2日閲覧。
  2. ^ "Josef Gungl and His Celebrated American Tour: November 1848 to May 1849" by Roger L. Beck and Richard K. Hansen, Studia Musicologica Academiae Scientiarum Hungaricae, T. 36, Fasc. 1/2 (1995), pp. 53-72, published by Akadémiai Kiadó
  3. ^ a b c リンガー(1997) p.152

参考文献

[編集]
  •  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Gung'l, Josef". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 12 (11th ed.). Cambridge University Press.
  • アレクサンダー・リンガー(Alexander Ringer)『西洋の音楽と社会7 ロマン主義と革命の時代』音楽之友社、1997年1月10日。ISBN 4-276-11237-0 

外部リンク

[編集]