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ヨハン (ブランデンブルク=キュストリン辺境伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨハン・フォン・ブランデンブルク=キュストリン
Johann von Brandenburg-Küstrin
ブランデンブルク=キュストリン辺境伯
在位 1535年 - 1571年

出生 (1513-08-03) 1513年8月3日
死去 (1571-01-13) 1571年1月13日(57歳没)
配偶者 カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
子女 エリーザベト
カタリーナ
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世ネストル
母親 エリザベト・ア・ダンマーク
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ヨハン(Johann)またはハンス(Hans, 1513年8月3日 - 1571年1月13日)は、ブランデンブルク=キュストリン辺境伯。ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世ネストルの次男で、母はデンマークノルウェースウェーデンの王ハンスの娘エリーザベトヨアヒム2世ヘクトルの弟。

生涯

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1535年に父が死去した際、現在のポーランド共和国ルブシュ県の一角に、ブランデンブルク=キュストリン辺境伯領と呼ばれる所領を与えられた。

1537年ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯ハインリヒ2世の長女カタリーナ(1518年 - 1574年)と結婚し、2女をもうけた。

兄ヨアヒム2世の死の10日後に死去し、男子がなかったため、辺境伯領は甥のヨハン・ゲオルク(ヨアヒム・フリードリヒの父)が選帝侯領に再編入した。