ヨネカジコンビ
ヨネカジコンビとは、日本プロ野球の阪急ブレーブスに在籍していた右投手の米田哲也と左投手の梶本隆夫のダブルエースコンビを指す愛称である。
概要
[編集]灰色の阪急[1]と言われるほど地味なイメージを与えていた弱小チーム時代から、2人ともに引退まで大きな故障が一つも無いタフネスぶりとポーカーフェイスで黙々と投げ続けた[2][3]。
揃って阪急ブレーブスに在籍していた1956年から1973年までの合計勝敗数は541勝496敗。ほぼ同時期に南海ホークスのダブルエースだった1958年から1970年までの杉浦忠と皆川睦雄の合計373勝217敗と比較しても大きく差を付けている。
梶本隆夫は1954年に入団して1973年に引退するまで20年間阪急一筋で通して254勝255敗で、名球会入りしているメンバーでは唯一負け越している投手である。最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠タイトルを一度も獲得出来ない無冠の帝王だった。
米田哲也は1956年に入団して1975年途中まで阪急で338勝278敗、残りを1977年まで阪神タイガースと近鉄バファローズで12勝7敗と、合計350勝285敗の成績を残しており、金田正一に次いで日本プロ野球歴代2位の通算勝利数を残している。
1959年から1962年までは阪急で規定投球回に到達しているのは梶本と米田のみであったが、梶本が衰えを見せ始めた1963年からは足立光宏や石井茂雄も先発ローテに加わり、200投球回近くを投げるようになった。米田・梶本・足立・石井の4人を「阪急投手四天王」と呼ばれる事もあった。
1967年に梶本がパームボールをマスターして復活を遂げ、阪急は球団初のパシフィック・リーグ優勝を果たした。1968年・1969年・1971年・1972年にも優勝を果たし、福本豊、加藤秀司、山田久志ら若手選手の成長により、黄金時代を迎えた。しかし日本シリーズでは、V9巨人打線に対して梶本が16.1回・1勝3敗・防御率6.75、米田が38.2回・2勝3敗・防御率5.31、石井が19.2回・0勝1敗・防御率5.40、足立が69.1回・5勝4敗・防御率5.58[4]と自慢の投手陣があまり通用せず、この5度のリーグ優勝でいずれも日本一を逃した。
ヨネカジ時代の阪急先発投手陣
[編集][5] 太字はリーグ最高
1957年
[編集]選手名 | 防御率 | 登板 | 先発 | 投球回 | 勝敗数 | 奪三振 | WHIP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
梶本隆夫 | 1.92 | 53 | 33 | 337.1 | 24勝16敗 | 301 | 1.04 | |
米田哲也 | 1.86 | 50 | 29 | 299.2 | 21勝16敗 | 268 | 0.99 | |
種田弘 | 1.99 | 36 | 21 | 149.1 | 8勝7敗 | 66 | 1.07 | |
阿部八郎 | 3.08 | 28 | 22 | 122.2 | 6勝8敗 | 61 | 1.23 |
1958年
[編集]選手名 | 防御率 | 登板 | 先発 | 投球回 | 勝敗数 | 奪三振 | WHIP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
米田哲也 | 2.12 | 45 | 36 | 305.2 | 23勝13敗 | 268 | 1.00 | |
梶本隆夫 | 2.99 | 44 | 29 | 265.0 | 16勝18敗 | 186 | 1.17 | |
秋本祐作 | 1.89 | 48 | 19 | 205.0 | 14勝4敗 | 109 | 1.08 | |
種田弘 | 3.02 | 33 | 19 | 131.0 | 3勝5敗 | 55 | 1.27 |
1959年
[編集]選手名 | 防御率 | 登板 | 先発 | 投球回 | 勝敗数 | 奪三振 | WHIP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
米田哲也 | 2.12 | 52 | 34 | 331.1 | 18勝24敗 | 247 | 1.11 | |
梶本隆夫 | 3.25 | 39 | 27 | 199.1 | 11勝17敗 | 136 | 1.28 | |
安藤治久 | 3.24 | 44 | 15 | 169.2 | 8勝10敗 | 125 | 1.34 | |
秋本祐作 | 4.10 | 40 | 18 | 112.0 | 3勝9敗 | 68 | 1.47 |
1960年
[編集]選手名 | 防御率 | 登板 | 先発 | 投球回 | 勝敗数 | 奪三振 | WHIP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
米田哲也 | 2.73 | 51 | 33 | 306.2 | 22勝16敗 | 213 | 1.12 | |
梶本隆夫 | 2.54 | 48 | 31 | 297.2 | 21勝18敗 | 171 | 1.17 | |
安藤治久 | 3.46 | 42 | 23 | 166.1 | 7勝13敗 | 103 | 1.30 | |
秋本祐作 | 3.40 | 36 | 21 | 143.0 | 6勝8敗 | 100 | 1.29 |
1961年
[編集]選手名 | 防御率 | 登板 | 先発 | 投球回 | 勝敗数 | 奪三振 | WHIP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
米田哲也 | 3.56 | 56 | 35 | 275.2 | 16勝22敗 | 188 | 1.28 | |
梶本隆夫 | 2.80 | 54 | 31 | 269.2 | 17勝23敗 | 141 | 1.18 | |
秋本祐作 | 3.80 | 44 | 18 | 161.0 | 6勝10敗 | 81 | 1.24 | |
安藤治久 | 2.82 | 47 | 21 | 153.1 | 6勝7敗 | 97 | 1.27 |
1962年
[編集]選手名 | 防御率 | 登板 | 先発 | 投球回 | 勝敗数 | 奪三振 | WHIP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
米田哲也 | 3.23 | 52 | 30 | 261.2 | 20勝17敗 | 231 | 1.22 | |
梶本隆夫 | 3.28 | 50 | 23 | 235.2 | 14勝15敗 | 154 | 1.29 | |
石井茂雄 | 4.28 | 47 | 19 | 147.1 | 4勝9敗 | 98 | 1.28 | |
安藤治久 | 3.96 | 36 | 19 | 120.1 | 7勝11敗 | 52 | 1.35 |
脚注
[編集]- ^ “【9月12日】1964年(昭39) 灰色・阪急が初優勝に近づいた瞬間、ネット裏では…”. スポニチ. 2013年10月11日閲覧。
- ^ “【8月14日】1966年(昭41) “ガソリンタンク”米田哲也 独自の食事法で200勝達成”. スポニチ. 2013年10月11日閲覧。
- ^ “【5月12日】1963年(昭38) 先発左腕梶本隆夫、3番でスタメン 第2試合は一塁手”. スポニチ. 2013年10月11日閲覧。
- ^ 日本プロ野球大百科 2004
- ^ baseball-reference.com