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モー・バーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モー・バーグ
Moe Berg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク
生年月日 (1902-03-02) 1902年3月2日
没年月日 (1972-05-29) 1972年5月29日(70歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1923年
初出場 1923年6月27日
最終出場 1939年9月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

モーリス・「モー」・バーグ(Morris "Moe" Berg、1902年3月2日 - 1972年5月29日)は、アメリカプロ野球選手捕手)。ボストン・レッドソックスシカゴ・ホワイトソックス等に所属した。同時に日本の地形を写真に収めて、アメリカに提供したスパイだった[1]

人物

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ウクライナ移民のバーナード・タシュカーとローズ・バーグ夫妻の二男としてニューヨークで生まれた[2]。両親ともユダヤ人で、プリンストン大学を優等で卒業。コロンビア大学法科大学院修了。

ラテン語、フランス語、スペイン語など複数のヨーロッパ系言語に堪能で、日本語もある程度理解し、9か国語を話すことができ[3]、毎日10種類の新聞を読んだ。

大リーグシーズン終了後の1923年秋頃、パリに旅行しカルチェ・ラタンに滞在。この滞在時に、多種の新聞に目を通す生涯の習慣を身につけた[4]。スポーツ記者からは「野球界で最も頭のキレる男」(the brainiest guy in baseball[5]と呼ばれ、ケーシー・ステンゲルは「今までで最も異色な野球選手」(the strangest man ever to play baseball)と評した[6]

1932年に、全日本大学野球連盟の招きで、レフティ・オドールテッド・ライオンズとともに来日、東京六大学野球連盟に属する各大学で野球を指導した[7][8]。他の2選手が帰国後も日本国内を周遊し、満洲など大陸を巡り、東南アジアエジプトドイツを視察して帰国した[7]

1934年日米野球のためメジャーリーグ選抜として再来日した。一行が天皇皇后に謁見した際には日本語で天皇と会話をした[2]。滞在中の11月29日に大宮球場で開催された試合を欠場して、ジョセフ・グルー駐日アメリカ合衆国大使の娘を見舞うと偽って東京・明石町聖路加国際病院へ向かい、その屋上から、東京湾内の軍艦、兵器工場、製油所、皇居、工場群、鉄道線路など東京市街一円を16ミリカメラで撮影した[1][2]。このほか、武蔵野、三鷹、田無、保谷、船橋、習志野、川口、松戸も撮影し、これらモーが撮影した映像は第二次世界大戦中の1942年に行なわれたドーリットル空襲の航空母艦からの日本本土爆撃の第一資料として利用された[9][2]。日米野球終了後も帰国せずに日本に2週間滞在し、その後上海北京を経て満洲里からシベリア鉄道モスクワに向かい、沿線各地を撮影した[2]

引退後は、戦略諜報局(OSS)[10]やその後身の中央情報局(CIA)などの機関員であったことでも知られる。終戦後も対ソ連のスパイとして働き続け、生涯独身で、晩年は兄と妹と暮らした[11]

2018年には伝記をもとにした映画『ザ・キャッチャー・ワズ・ア・スパイ』が公開され、ポール・ラッドが演じた[11]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1923 BRO 49 138 129 9 24 3 2 0 31 6 1 0 7 -- 2 -- 0 5 -- .186 .198 .240 .439
1926 CWS 41 123 113 4 25 6 0 0 31 7 0 2 5 -- 6 -- 0 9 -- .221 .261 .274 .535
1927 35 77 69 4 17 4 0 0 21 4 0 0 4 -- 4 -- 0 10 -- .246 .288 .304 .592
1928 76 255 224 25 55 16 0 0 71 29 3 1 13 -- 14 -- 4 25 -- .246 .302 .317 .619
1929 107 385 352 32 101 7 0 0 108 47 5 1 12 -- 17 -- 2 16 -- .287 .323 .307 .630
1930 20 62 61 4 7 3 0 0 10 7 0 0 0 -- 1 -- 0 5 -- .115 .129 .164 .293
1931 CLE 10 14 13 1 1 1 0 0 2 0 0 0 0 -- 1 -- 0 1 -- .077 .143 .154 .297
1932 WS2 75 208 195 16 46 8 1 1 59 26 1 1 5 -- 8 -- 0 13 -- .236 .266 .303 .569
1933 40 72 65 8 12 3 0 2 21 9 0 0 3 -- 4 -- 0 5 -- .185 .232 .323 .555
1934 33 95 86 5 21 4 0 0 25 6 2 0 2 -- 6 -- 1 4 -- .244 .301 .291 .592
CLE 29 100 97 4 25 3 1 0 30 9 0 0 2 -- 1 -- 0 7 -- .258 .265 .309 .575
'34計 62 195 183 9 46 7 1 0 55 15 2 0 4 -- 7 -- 1 11 -- .251 .283 .301 .583
1935 BOS 38 104 98 13 28 5 0 2 39 12 0 0 2 -- 5 -- 0 3 -- .286 .320 .398 .718
1936 39 133 125 9 30 4 1 0 36 19 0 0 4 -- 2 -- 2 6 -- .240 .264 .288 .552
1937 47 148 141 13 36 3 1 0 41 20 0 0 2 -- 5 -- 0 4 -- .255 .281 .291 .572
1938 10 12 12 0 4 0 0 0 4 0 0 0 0 -- 0 -- 0 1 -- .333 .333 .333 .667
1939 14 35 33 3 9 1 0 1 13 5 0 0 0 -- 2 -- 0 3 1 .273 .314 .394 .708
MLB:15年 663 1961 1813 150 441 71 6 6 542 206 12 5 61 -- 78 -- 9 117 *1 .243 .278 .299 .577
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

背番号

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  • 19(1931年途中 - 同年途中、1935年)
  • 27(1932年途中 - 同年終了)
  • 9(1932年)
  • 10(1933年 - 1934年途中)
  • 31(1934年途中 - 同年終了)
  • 22(1936年 - 1939年)

参考文献

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  • ニコラス・ダウィドフ(Nicholas Dawidoff)『「大リーガー」はスパイだった―モー・バーグの謎の生涯』 鈴木主税訳、平凡社、1995年 ISBN 4582373372

脚注

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  1. ^ a b 小関順二『野球を歩く: 日本野球の歴史探訪』草思社、2013年、179-180頁。ISBN 978-4794220141 
  2. ^ a b c d e 『巨人軍を憎んだ男 V・スタルヒンと日本野球』(牛島秀彦著、福武文庫、1991年)p100-105
  3. ^ ポール・ラッド主演の豪華スパイ映画に真田広之が出演 - ライブドアニュース
  4. ^ The Catcher Was a Spy」 P46
  5. ^ Dawidoff, p. 17
  6. ^ Berger, Ralph. “Moe Berg”. The Baseball Biography Project. The Society for American Baseball Research. March 11, 2007閲覧。
  7. ^ a b Dawidoff, Nicholas (1994). The Catcher Was a Spy: The Mysterious Life of Moe Berg. New York: Vintage Books. p. 77–81
  8. ^ 『日米野球裏面史: 美少女投手から大ベーブ・ルースまで』佐山和夫、日本放送出版協会, 2005、p186
  9. ^ Dawidoff, pp. 133–35.
  10. ^ 読売新聞 2008年8月15日「J・フォード監督の名も、米CIA前身の工作員名公開
  11. ^ a b Moe Berg Movie Makes Home Run for HistoryForbes, 2018年7月12日

関連項目

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外部リンク

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