モーリス・トレーズ
モーリス・トレーズ(Maurice Thorez、1900年4月28日 - 1964年7月11日)は、フランスの政治家。1930年から死の1964年まで長らくフランス共産党書記長を務めた。1946年から1947年まではフランス共和国臨時政府の副首相を短期間務めた。
生涯
[編集]フランス北部、パ=ド=カレー県のノワイエル=ゴドー(Noyelles-Godault)出身。この町では炭鉱業が盛んで、トレーズも12歳で炭鉱夫として働き始める。1919年フランス社会党に入党するが、程なくして共産党に移る。党活動のため、数度の入獄を経験する。1923年党書記を経て、1930年書記長に選出される。以後、死の1964年までフランス共産党の党首として同党を指導した。
国際共産主義運動の文脈においてトレーズは、ソ連の指導者であったヨシフ・スターリンによって支持された。また、各国の共産党同様にレフ・トロツキーを批判し、フランス人民戦線政権の成立、第二次世界大戦開始当初からナチス・ドイツによるフランス占領まで見せたフランス保守政権(フランス第三共和制)による対ドイツ戦争への協力拒否(独ソ不可侵条約からの影響)、独ソ戦開始後の激烈な反独レジスタンス運動、戦後のコミンフォルム参加、1956年のハンガリー動乱におけるソ連の軍事介入支持など、その死まで一貫してその当時のソ連の外交政策に追随し、フランス共産党が「モスクワの長女」と揶揄されるほどの親ソ派政党として活動する基盤を築いた。
彼への批判の文書として、ハンガリー動乱でのソ連支持に反対して共産党を離党したエメ・セゼールが出版した『モーリス・トレーズへの手紙』(Lettre à Maurice Thorez)がある。
死後
[編集]死後の1964年、ウクライナ・ドネツク州の炭鉱都市チスチャコヴォは、炭鉱夫だったトレーズを称えて「トレーズ市」と改名した。ソ連崩壊後にロシアとの対立を深めたウクライナのヴェルホーヴナ・ラーダは2016年にトレーズを旧名に戻す決定をしたが、トレーズはドネツク人民共和国の支配下にあるため現在もトレーズの名称が多く用いられている。
モスクワにあるモスクワ言語大学は、1964年から1990年まで「モーリス・トレーズ・モスクワ州立外国語教育研究所」と名乗っていた。
著書
[編集]- 山辺健太郎 訳『人民の子 続』三一書房、1951年6月20日。NDLJP:3032254。
- 日本共産党中央委員会宣伝教育部 訳『人民の子』日本共産党中央委員会出版部、1961年1月20日。NDLJP:3032299。
- 第1巻:人民戦線とその勝利(1955年)
- 第2巻:レジスタンスとフランスの解放(1955年)
- 第3巻:平和と独立のための闘い(1956年)
- 第4巻:フランス国民の団結と前進(1956年)