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モハメド・アリ・サマター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モハメド・アリ・サマター
Maxamed Cali Samantar
محمد علي سمتر
モハメド・アリ・サマター(1984年撮影)
生年月日 1931年1月1日
出生地 イタリア王国の旗 イタリア領ソマリランド キスマヨ
没年月日 (2016-08-19) 2016年8月19日(85歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 バージニア州
出身校 イタリア王国の旗 モデナ陸軍士官学校
ソビエト連邦の旗 フルンゼ軍事大学英語版
所属政党 ソマリ社会主義革命党
宗教 イスラム教

在任期間 1987年2月1日 - 1990年9月3日
大統領 モハメド・シアド・バーレ

在任期間 1971年8月14日 - 1987年2月1日
1990年9月3日 - 1991年1月26日
大統領 モハメド・シアド・バーレ

在任期間 1971年6月20日 - 1987年2月1日
大統領 モハメド・シアド・バーレ
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モハメド・アリ・サマターソマリ語: Maxamed Cali Samatar, محمد علي سمتر, 1931年1月1日 - 2016年8月19日)は、ソマリアの軍人で政治家。クーデターで大統領となったバーレの下で、10年以上空位だったソマリアの首相を務めた。バーレ政権崩壊後はアメリカに亡命。

経歴

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出生

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サマターは1931年にソマリア南部のキスマヨで生まれた[1]。出身氏族は少数派のトゥマル英語版

中等教育を受けた後、旧ソビエト連邦の名門フルンゼ軍事大学英語版 に留学した[2]

ソマリア民主共和国

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ソマリアは1960年に独立したが、1969年に少将だったバーレがクーデターを起こし、大統領となった。バーレ大統領は与党最高革命評議会英語版を作った。

サマターは最高革命評議会のメンバーとなった。1971年には副大統領となり、1970年代にソマリア軍英語版 (SNA) の中将となった。

1977年にエチオピアとの間で起こったオガデン戦争では、サマターは全ソマリア軍と、エチオピアの反政府組織西ソマリ解放戦線英語版 (WSLF) の一部を率いた[2]。当時のソマリア軍の野戦司令官は、ほとんどがサマターと同じくフルンゼ軍事大学出身で[3]、例えばアブドゥラヒ・ユスフアブドゥラヒ・アフメド・イッロ英語版などがいる。しかしオガデン戦争は失敗に終わり、ソマリア軍は1978年にほとんどが撤退した。

サマターは1980年から86年まで国防大臣を務めた。バーレ大統領は1982年から1989年にかけて、ソマリア北西部でイサック虐殺英語版と呼ばれる事件を起こしており、サマターもこの事件にかかわった可能性がある[4]

1986年5月、バーレ大統領は交通事故で命に係わるような重傷を負い[5]サウジアラビアの病院に1ヶ月入院した[6][7]。その時サマターは副大統領だったので、事故後数か月は事実上の国家元首を務めた。バーレ大統領は奇跡的に回復するが後遺症もあり、すでに70歳を超える高齢だったため、後継者が話題となった。サマターは、当時内務大臣だったAhmed Suleiman Abdille将軍と共に後継者候補とみなされていた[5][6]。1987年2月1日にサマターは、バーレがクーデターを起こして以来空席だったソマリア首相となった。

アメリカ亡命と裁判

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1991年、軍閥統一ソマリ会議がバーレ大統領を首都モガディシュから追放し、バーレ政権は崩壊した。サマターはアメリカに亡命した。アメリカに住んでいることが明らかになったのは1997年だった[4]。後にバージニア州に移住した。

2004年[8][9]、サンフランシスコの人権団体「正義と説明責任のためのセンター英語版」の援助を受けたイサック系のソマリア人4人から、アメリカの裁判所に告訴された[4]。訴状では、サマターが直接残虐行為をしたわけではないが、監督責任があるとされた[10]。サマターは米国の外国主権免除法英語版を根拠として免責を訴えたが、2010年6月1日に最高裁は満場一致で本件に免責は適用できないと決定した[11]。サマターはさらに国際法が定める「元首の刑事免責英語版」に該当するとして争ったが、バージニア州東部地区連邦地方裁判所英語版はサマター敗訴の判決を出した[12][13]。賠償金の金額は2100万ドルだった[9]。ただしサマターは破産宣告をして、賠償金の支払いは逃れた[14]

2013年3月、ソマリア首相のアブディ・ファラ・シルドンアメリカ合衆国国務省に対し、サマターに訴追免除を与えるよう要請した[9]。大統領のオバマも訴追免除を支持した。しかし2015年3月、合衆国最高裁判所はサマターの敗訴を確定した[10]

死去

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サマターは2016年8月19日にバージニアで死去し、ソマリアの首都モガディシュに埋葬された[15]

家族

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関連項目

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脚注

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  1. ^ Lewis, I.M. (2008). Understanding Somalia and Somaliland: Culture, History, Society. Columbia University Press. pp. 7–8. ISBN 978-0231700849 
  2. ^ a b Ahmed III, Abdul. “Brothers in Arms Part I”. WardheerNews. 3 May 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。15 July 2012閲覧。
  3. ^ Ahmed III, Abdul. “Brothers in Arms Part II”. WardheerNews. 4 May 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。17 March 2013閲覧。
  4. ^ a b c cja. “ATROCITIES COMMITTED UNDER SOMALI DICTATOR SIAD BARRE”. 2020年10月25日閲覧。
  5. ^ a b World of Information (Firm), Africa review, (World of Information: 1987), p.213.
  6. ^ a b Arthur S. Banks, Thomas C. Muller, William Overstreet, Political Handbook of the World 2008, (CQ Press: 2008), p.1198.
  7. ^ National Academy of Sciences (U.S.). Committee on Human Rights, Institute of Medicine (U.S.). Committee on Health and Human Rights, Scientists and human rights in Somalia: report of a delegation, (National Academies: 1988), p.9.
  8. ^ International Crimes Database (2012年11月2日). “Bashe Abdi Yousuf et al. v. Mohamed Ali Samantar”. 2020年10月25日閲覧。
  9. ^ a b c Somaliland Sun (2013年1月3日). “Somalia: PM Shirdon, seeks Immunity for Mohamed Ali Samatar”. 2020年10月25日閲覧。
  10. ^ a b U.S. top court refuses to shield former Somali official from suit - http://townhall.com/news/politics-elections/2015/03/09/us-top-court-refuses-to-shield-former-somali-official-from-suit-n1967841
  11. ^ Washington Post (2010年6月2日). “Ex-Somali official Mohamed Ali Samantar may be sued in U.S., Supreme Court rules”. 2020年10月25日閲覧。
  12. ^ Yousuf v Samantar Opinion (4th Circuit)
  13. ^ Case summary - Center for Justice & Accountability
  14. ^ Singer, Drew (28 August 2012). “Ex-Somali PM must pay $21 million for alleged torture - US court”. Reuters. http://articles.chicagotribune.com/2012-08-28/business/sns-rt-usa-courtsomalia-samantarl2e8jsif7-20120828_1_ali-samantar-somali-prime-minister-foreign-torturers 12 November 2012閲覧。 
  15. ^ Former somali vice president, defense minister in 1970's dies at 85-in-virginia”. mareeg.com (2016年8月20日). 20 August 2016閲覧。
公職
先代
空席(前任はイブラヒム・エガル
ソマリアの旗 ソマリア首相
1987-1990
次代
ムハンマド・ハワドレ・マダー