モニク・ファンデリー
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獲得メダル | ||
---|---|---|
オランダ | ||
柔道 | ||
世界柔道選手権 | ||
金 | 1995 千葉 | 無差別 |
銅 | 1991 バルセロナ | 72kg超級 |
銅 | 1993 ハミルトン | 72kg超級 |
モニク・ファンデリー(オランダ語: Monique van der Lee 1973年11月7日 - )はオランダのヘールフホヴァールト出身の柔道選手。現役時代は72kg超級の選手。身長176cm。体重84kg[1]。
人物
[編集]72kg超級にしては84kgと比較的軽量ながら、ジュニアの頃から国際大会で活躍していて、17歳の時には世界選手権で3位となった。翌年にはバルセロナオリンピックに出場するが、初戦でポーランドのベアタ・マクシモフに敗れた。1993年の世界選手権では、準決勝で阿武教子に1-2の判定で敗れるが3位となった。1995年の世界選手権無差別では、決勝で中国の孫福明に一本勝ちして優勝を果たした。しかし、オランダ国内には72kg超級世界チャンピオンのアンヘリク・セリーゼがいたために、アトランタオリンピックには出場できずに終わった。その後、ラグビー競技に転向した[2]。現在は柔道の現場に復帰している[3]。
セクハラ騒動
[編集]1996年になると、コーチであるペーター・オームスにセクハラを受けていたとして、同じくオームスの指導下にあってセクハラを受けていたというアニタ・スタップス及びイレーネ・ドゥコックとともに、その件を公に告発した[4][5][6]。
裁判ではドゥコック及びファンデリーに対するセクハラが認定されて、オームスには4ヶ月の執行猶予処分と180時間の社会奉仕活動が言い渡された[7]。
また、オランダ柔道連盟はオームスに対して、1996年から3年間にわたってコーチ資格を停止処分にした[8]。
主な戦績
[編集](階級表記のない大会は全て72kg超級での成績)
- 1988年 - ヨーロッパジュニア 72kg級 2位
- 1989年 - ヨーロッパジュニア 3位
- 1990年 - 世界ジュニア 2位
- 1990年 - ヨーロッパ選手権 3位
- 1991年 - ヨーロッパ選手権 無差別 優勝
- 1991年 - 世界選手権 3位
- 1992年 - ドイツ国際 優勝
- 1992年 - ヨーロッパ選手権 3位
- 1993年 - フランス国際 2位
- 1993年 - ドイツ国際 2位
- 1993年 - ヨーロッパ選手権 優勝
- 1993年 - 世界選手権 3位
- 1994年 - フランス国際 3位
- 1994年 - ドイツ国際 3位
- 1994年 - ヨーロッパ選手権 無差別 優勝
- 1995年 - ドイツ国際 2位
- 1995年 - ヨーロッパ選手権 3位
- 1995年 - 世界選手権 無差別 優勝
- 1996年 - ドイツ国際 優勝
- 1996年 - ヨーロッパ選手権 無差別 優勝
脚注
[編集]- ^ Monique van der Lee Biography and Olympic Results[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
- ^ BONDSMEDEDELING DIGITAAL 2008-2009 ALGEMEEN[リンク切れ]
- ^ “judo - Judo Bond Nederland”. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月14日閲覧。
- ^ Monique van der Lee (Ned)[リンク切れ]
- ^ Judoka's klagen trainer Ooms aan 1996年2月23日
- ^ Judocoach Ooms spreekt beschuldigingen tegen 1996年2月27日
- ^ Judoleraar veroordeeld voor ontucht metleerlingen 1997年7月26日
- ^ Dagvaarding van OM voor judocoach Ooms 1996年9月28日
外部リンク
[編集]- モニク・ファンデリー - JudoInside.com のプロフィール