メアリー・オンヤリ
獲得メダル | ||
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メアリー・オンヤリ | ||
ナイジェリア | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
銅 | 1992 バルセロナ | 4×100mリレー |
銅 | 1996 アトランタ | 200m |
メアリー・オンヤリ (Mary Onyali-Omagbemi、1968年2月3日- )は、ナイジェリアの陸上競技選手。バルセロナ、1996年アトランタオリンピックの銅メダリストである。同じナイジェリアの陸上選手ビクトル・オマグベミと結婚後はメアリー・オンヤリ=オマグベミとも名乗っていた。
経歴
[編集]オンヤリは、子供のころに、父親が母親と子供を捨てて家を出て行ったため、母親は外に働きに出ざるをえず、兄弟たちと支えあいながら成長していった。オンヤリは家族たちのおかげで学校に行くことができた。学校ではスポーツ、特に走幅跳と走高跳に興味を持っていた。
高校を卒業した後も、オンヤリはスポーツを続けて生きたいと考えていた。しかし、彼女の家族はもはや、サポートすることはできず、彼女は、アメリカにスポーツで奨学金をもらって勉強を続けたいと思った。ナイジェリアのジュニア選手権でよい結果を残すも、続く国際大会では2位となってしまう。しかし、彼女の素質と、継父のサポートもあり、オンヤリはテキサス大学に1985年から1990年まで留学することができた。その間、1988年ソウルオリンピックに出場しているが、200mでは準決勝で敗退している。
その後も、オンヤリは数多くの国際大会に出場、女子短距離種目では決勝の常連となる。1992年バルセロナオリンピックでは100mで決勝に進出。7位に終わってしまったが、ベアトリス・ウトンドゥ、フェイス・イデヘン、クリスティ・オパラとともに挑んだ4×100mリレーでは、アメリカ、EUNに次いで銅メダルを獲得、ナイジェリアの女性選手としてはじめてのメダル獲得となった。
4年後のアトランタオリンピックでは、100m、200mそして4×100mリレーの3種目に出場。100mでは7位、4×100mリレーでは5位に終わってしまったが、200mでは、フランスのマリー=ジョゼ・ペレク、ジャマイカのマリーン・オッティに次いで銅メダルを獲得。ナイジェリア選手としてはじめての2大会連続のメダル獲得となった。
自己ベスト
[編集]- 100m - 10秒97 (1993年)
- 200m - 22秒07 (1996年)
- 400m - 54秒21 (2000年)
主な実績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1985 | アフリカ陸上選手権 | カイロ(エジプト) | 200m | 2位 | 23秒98 |
1986 | 世界ジュニア陸上選手権 | アテネ(ギリシャ) | 200m | 2位 | 23秒30 |
1987 | ユニバーシアード | ザグレブ(ユーゴスラビア) | 200m | 2位 | 22秒64 |
1987 | オールアフリカゲームズ | ナイロビ(ケニア) | 100m | 3位 | 11秒47 |
1987 | オールアフリカゲームズ | ナイロビ(ケニア) | 200m | 1位 | 22秒66 |
1987 | 世界陸上選手権 | ローマ(イタリア) | 200m | 6位 | 22秒52 |
1988 | アフリカ陸上選手権 | アナバ(アルジェリア) | 100m | 1位 | 11秒25 |
1989 | アフリカ陸上選手権 | ラゴス(ナイジェリア) | 100m | 1位 | 11秒22 |
1989 | アフリカ陸上選手権 | ラゴス(ナイジェリア) | 200m | 1位 | 23秒00 |
1989 | IAAFワールドカップ | バルセロナ(スペイン) | 100m | 2位 | 11秒23 |
1989 | IAAFワールドカップ | バルセロナ(スペイン) | 200m | 2位 | 22秒82 |
1991 | 世界陸上選手権 | 東京(日本) | 100m | 7位 | 11秒39 |
1991 | 世界陸上選手権 | 東京(日本) | 4×100mリレー | 4位 | 42秒77 |
1991 | 世界陸上選手権 | 東京(日本) | 4×400mリレー | 5位 | 3分24秒45 |
1991 | オールアフリカゲームズ | カイロ(エジプト) | 100m | 1位 | 11秒12 |
1992 | オリンピック | バルセロナ(スペイン) | 100m | 7位 | 11秒15 |
1992 | オリンピック | バルセロナ(スペイン) | 4×100mリレー | 3位 | 42秒81 |
1993 | 世界陸上選手権 | シュトゥットガルト(ドイツ) | 100m | 5位 | 11秒05 |
1993 | 世界陸上選手権 | シュトゥットガルト(ドイツ) | 200m | 5位 | 22秒32 |
1993 | アフリカ陸上選手権 | ダーバン(南アフリカ共和国) | 200m | 1位 | 22秒71 |
1994 | コモンウェルスゲームズ | ビクトリア(カナダ) | 100m | 1位 | 11秒06 |
1994 | コモンウェルスゲームズ | ビクトリア(カナダ) | 200m | 2位 | 22秒35 |
1994 | IAAFワールドカップ | ロンドン(イギリス) | 100m | 3位 | 11秒52 |
1995 | 世界陸上選手権 | イェーテボリ(スウェーデン) | 100m | 7位 | 11秒15 |
1995 | 世界陸上選手権 | イェーテボリ(スウェーデン) | 200m | 6位 | 22秒71 |
1995 | IAAFグランプリファイナル | (モナコ) | 200m | 2位 | 22秒69 |
1995 | オールアフリカゲームズ | ハラーレ(ジンバブエ) | 100m | 1位 | 11秒18 |
1995 | オールアフリカゲームズ | ハラーレ(ジンバブエ) | 200m | 1位 | 22秒75 |
1996 | オリンピック | アトランタ(アメリカ合衆国) | 100m | 7位 | 11秒13 |
1996 | オリンピック | アトランタ(アメリカ合衆国) | 200m | 3位 | 22秒38 |
1996 | オリンピック | アトランタ(アメリカ合衆国) | 4×100mリレー | 5位 | 42秒56 |
1996 | IAAFグランプリファイナル | ミラノ(イタリア) | 100m | 3位 | 11秒00 |
1998 | IAAFワールドカップ | ヨハネスブルグ(南アフリカ共和国) | 100m | 3位 | 11秒05 |
1998 | アフリカ陸上選手権 | ダカール(セネガル) | 100m | 1位 | 11秒05 |
2000 | オリンピック | シドニー(オーストラリア) | 4×100mリレー | 7位 | 44秒05 |
2001 | 世界陸上選手権 | エドモントン(カナダ) | 4×100mリレー | 4位 | 42秒52 |
2003 | オールアフリカゲームズ | アブジャ(ナイジェリア) | 100m | 1位 | 11秒26 |
2003 | オールアフリカゲームズ | アブジャ(ナイジェリア) | 200m | 1位 | 23秒09 |
外部リンク
[編集]- メアリー・オンヤリ - 国際オリンピック委員会
- メアリー・オンヤリ - オリンピックチャンネル
- メアリー・オンヤリ - Olympedia
- メアリー・オンヤリ - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- メアリー・オンヤリ - 国際陸上競技連盟
- メアリー・オンヤリ - TrackField.brinkster.net
- メアリー・オンヤリ - Munzinger Sports Archives