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ミヒャエル・ハイドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミヒャエル・ハイドン
基本情報
出生名 Johann Michael Haydn
生誕 1737年9月14日
出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ローラウ英語版
死没 (1806-08-10) 1806年8月10日(68歳没)
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ザルツブルク
ジャンル 古典派
職業 作曲家
活動期間 1757年 - 1806年
ミヒャエル・ハイドンのサイン

ヨハン・ミヒャエル・ハイドン(Johann Michael Haydn, 1737年9月14日 - 1806年8月10日)は、オーストリア古典派作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの5歳下の弟。生誕地ローラウ英語版ウィーンの東約35kmにある。

年譜

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弟子

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カール・マリア・フォン・ウェーバーは最も有名な弟子である。また、弟子のアントニオ・ディアベリはミヒャエル・ハイドンのための葬送行進曲を作曲した。

作品

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ミヒャエル・ハイドンの作品番号としては、チャールズ・H・シャーマン(Charles H. Sherman)とT・ドンリー・トーマス(T. Donley Thomas)による『MH番号』と、ローター・ペルガー(Lothar Perger)による『P番号[1]』が使用されている。

交響曲

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  • 交響曲第1番 ハ長調 MH 23, P 35(1758年?)
  • 交響曲第1A番 ニ長調 MH 24(1758年?)
  • 交響曲第1B番 ヘ長調 MH 25(1758年?)
  • 交響曲第1C番 変ホ長調 MH 35, P 1(パルティータ)(1760年)
  • 交響曲第2番 ハ長調 MH 37, P 2(1761年)
  • 交響曲第3番 ト長調 MH 26(ディヴェルティメント)(1763年)
  • 交響曲第4番 変ロ長調 MH 50, P 51(1763年)
  • 交響曲第5番 イ長調 MH 63, P 3(1763年)
  • 交響曲第6番 ハ長調 MH 64, P 4(1764年)
  • 交響曲第7番 イ長調 MH 65, P 5(1764年)
  • 交響曲第8番 ニ長調 MH 69, P 38(1764年)
  • 交響曲第9番 ニ長調 MH 50, P 36(1760年?)
  • 交響曲第10番 ヘ長調 MH 51, P 45(1764年?)
  • 交響曲第11番 変ロ長調 MH 82, P 9(1766年)
  • 交響曲第12番 ト長調 MH 108, P 7(1768年)
  • 交響曲第13番 ニ長調 MH 132, P 37(1768年?)
  • 交響曲第14番 ニ長調 MH 133, P 52(1771年)
  • 交響曲第15番 ニ長調 MH 150, P 41(1771年)
  • 交響曲第16番 イ長調 MH 152, P 6(1771年)
  • 交響曲第17番 ホ長調 MH 151, P 44(1771年?)
  • 交響曲第18番 ハ長調 MH 188, P 10(1773年)
  • 交響曲第19番 ニ長調 MH 198, P 11(1774年)
  • 交響曲第20番 ハ長調 MH 252, P 12(1777年)
  • 交響曲第21番 ニ長調 MH 272, P 42(1778年)
  • 交響曲第22番 ヘ長調 MH 284, P 14
  • 交響曲第23番 ニ長調 MH 287, P 43
  • 交響曲第24番 イ長調 MH 302, P 15
  • 交響曲第25番 ト長調 MH 334, P 16(1783年)
    第25番は、後にモーツァルトが第1楽章に序奏を追加して自分の演奏会で用いたために、長い間モーツァルトの『交響曲37番 ト長調 K. 444』として知られていた。
  • 交響曲第26番 変ホ長調 MH 340, P 17(1783年)
  • 交響曲第27番 変ロ長調 MH 358, P 18(1784年)
  • 交響曲第28番 ハ長調 MH 384, P 19(1784年)
  • 交響曲第29番 ニ短調 MH 393, P 20(1784年)
  • 交響曲第30番 ニ長調 MH 399, P 21(1785年)
  • 交響曲第31番 ヘ長調 MH 405, P 22(1785年)
  • 交響曲第32番 ニ長調 MH 420, P 23(1786年)
  • 交響曲第33番 変ロ長調 MH 425, P 24/82(1786年)
  • 交響曲第34番 変ホ長調 MH 473, P 26(1788年)
  • 交響曲第35番 ト長調 MH 474, P 27(1788年)
  • 交響曲第36番 変ロ長調 MH 475, P 28(1788年)
  • 交響曲第37番 ニ長調 MH 476, P 29(1788年)
  • 交響曲第38番 ヘ長調 MH 477, P 30(1788年)
  • 交響曲第39番 ハ長調 MH 478, P 31(1788年)
  • 交響曲第40番 ヘ長調 MH 507, P 32(1789年)
  • 交響曲第41番 イ長調 MH 508, P 33(1789年)
  • 交響曲 ヘ長調 MH 118a, P 46

協奏曲

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  • オルガンとヴィオラのための協奏曲 ハ長調 MH 41, P 55
  • フルート協奏曲第1番 ニ長調 MH 81, P 54
  • フルート協奏曲第2番 ニ長調 MH 105, P 56
  • ホルン協奏曲 ニ長調 MH 53
  • ホルン協奏曲 ニ長調 MH 134, P 134
  • トランペット協奏曲第1番 ニ長調 MH 104
    当時の作品に例を見ない実音「3点A」を要求されることで知られる。
  • トランペット協奏曲第2番 ハ長調 MH 60
  • ヴァイオリン協奏曲 変ロ長調 MH 36, P 53
  • ヴァイオリン協奏曲 ト長調 MH 52
  • ヴァイオリン協奏曲 イ長調 MH 207

室内楽曲

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  • 弦楽四重奏曲
    弦楽四重奏曲 イ長調 MH 299, P 121
    弦楽四重奏曲 イ長調 MH 310, P 122
    弦楽四重奏曲 変ロ長調 MH 209, P 123
    弦楽四重奏曲 変ロ長調 MH 308, P 124
    弦楽四重奏曲 変ロ長調 MH 316, P 125
    弦楽四重奏曲 ハ長調 MH 313, P 116
    弦楽四重奏曲 ニ長調 MH 314
    弦楽四重奏曲 変ホ長調 MH 309, P 118
    弦楽四重奏曲 ヘ長調 MH 312, P 119
    弦楽四重奏曲 ト長調 MH 173a
    弦楽四重奏曲 ト長調 MH 315
    弦楽四重奏曲 ト長調 MH 172, P 104
    弦楽四重奏曲 ト長調 MH 174, P 135
    弦楽四重奏曲 ト短調 MH 311, P 120
  • 弦楽五重奏曲
    弦楽五重奏曲 変ロ長調 MH 412, P 105
    弦楽五重奏曲 ハ長調 MH 187, P 108
    弦楽五重奏曲 ヘ長調 MH 367, P 110
    弦楽五重奏曲 ヘ長調 MH 411, P 112
    弦楽五重奏曲 ト長調 MH 189, P 109
  • 二重奏曲
    ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ハ長調 MH 335, P 127
    ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ニ長調 MH 336, P 128
    ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ホ長調 MH 337, P 129
    ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ヘ長調 MH 338, P 130

ミヒャエル・ハイドンはザルツブルク大司教から6曲のヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲を命じられるが、4曲を完成させたところで、病気になってしまう。当時ウィーンに住んでいたモーツァルトは、妻のコンスタンツェとともにたまたまザルツブルクに帰省した際、ミヒャエルが病気で役目を果たせないでいることを知り、ミヒャエル・ハイドンの手法にならって残り2曲を作曲している。(記事「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 (モーツァルト)も参照。ヴィオラに替えてチェロでの伴奏、また二重奏曲でなくソナタと表記の場合あり)

  • フルート四重奏曲 ニ長調 P 117
  • ディヴェルティメント ト長調 MH 406, P 94(1785年)

舞台音楽

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  • ジングシュピール『アルプスの牧場の婚礼』MH 107/218(1768、1776年)
  • オペラ『アンドロメダとペルセオ』MH 438(1787年)
  • ジングシュピール『ティトゥス、不屈のキリスト教徒』[2][3][4](1774年、消失)
  • 劇付随音楽『ザイール』MH 255, P 13(1777年)

宗教音楽

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備考

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  • 宗教的ジングシュピール第一戒律の責務』は、第1部がモーツァルト、第2部がミヒャエル・ハイドン、第3部がアードルガッサー(Anton Cajetan Adlgasser)による合作である。
  • ヒエロニムス・コロレド大司教(Hieronymus von Colloredo)から委嘱された6曲の『ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲』のうち、第5、6曲はモーツァルトが代作した。
  • ミヒャエル・ハイドンが作曲し、1770年に大学の修了式で上演されたラテン語の学生劇『キリスト教徒のゆるぎなさ(Pietas christiana)』(台本:フローリアン・ライヒスジーゲルドイツ語版)は、日本の戦国時代の人物である高山右近がテーマとなっており、『Cantate Domino laeta pueri cantica』と『Sicut servus ad fluenta crusitat』の2つの合唱曲が現存している。同劇は1774年にドイツ語に直されて『ティトゥス、不屈のキリスト教徒(Titus, der standhafte Christ)』の題で上演された[2][3][4][6][7]。なお、モーツァルトの『解放されたベトゥーリア』(1771、K.118)の最終曲の合唱曲は「Cantate Domino laeta pueri cantica」が元になっている[8]

脚注

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  1. ^ P番号は略さずそのまま『Perger』と表記される場合もあり、その場合は『Perger 123』のように表記される。
  2. ^ a b Werklist(07,03,2010)Michael Haydn - Euro-Opera
  3. ^ a b Opera Composers: H - OperaGlass
  4. ^ a b The New Grove Dictionary of Music and Musicians Second Edition Volume 112001,p277.
  5. ^ a b ヨハン・ミヒャエル・ハイドン「レクイエム 変ロ長調」ゲオルク・グリューン指揮、マンハイム室内フィルハーモニー他によるSACD (Carus 83.353, Carus-Verlag, Stuttgart) ライナーノーツ。
  6. ^ ヨーロッパで「髙山右近」を主人公にした劇上演! - 高山右近研究室のブログ
  7. ^ 野口秀夫「M・ハイドンの高山右近劇《キリスト教徒のゆるぎなさ》―日本が促した再発見」『神戸モーツァルト研究会 第258回例会』2018年2月4日http://mozart.music.coocan.jp/258.pdf 
  8. ^ John A. Rice (2011). “"Lodi al gran Dio": The Final Chorus of Metastasio's Betulia liberata as Set by Mozart and Gassmann”. In Giacomo Fornari. Quinto Seminario di Filologia Musicale: Mozart 2006. ETS. ISBN 8846725220. https://sites.google.com/site/johnaricecv/lodi-al-dio 

外部リンク

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