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ミッキー・ベイカー

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ミッキー・ベイカー
コンサート中のミッキー・ベイカー、1982年撮影。
基本情報
出生名 MacHouston Baker
生誕 (1925-10-15) 1925年10月15日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ケンタッキー州ルイビル
死没 2012年11月27日(2012-11-27)(87歳没)
フランスの旗 フランス トゥールーズ近郊
ジャンル R&Bジャズロックンロール
職業 ミュージシャン
担当楽器 ギター
活動期間 1950年代 - 1980年代
レーベル Savoy, Cat, Rainbow, MGM, Atlantic, King

マックヒューストン・"ミッキー"・ベイカー(MacHouston "Mickey" Baker、1925年10月15日[1] - 2012年11月27日)は、アメリカ合衆国ギタリストで、もっぱらスタジオ・ミュージシャンとしての業績と、レコーディング・デュオのミッキーとシルヴィア英語版のメンバーとして知られる[2]

生い立ち

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ベイカーは、ケンタッキー州ルイビルに生まれた[1]。母親は黒人であったが、ベイカーが会ったことのない父親は白人であったと考えられている[3]

1936年、11歳だったベイカーは孤児院に入れられた。彼はそこからしばしば逃亡し、その都度スタッフの手でセントルイスから、ニューヨークから、シカゴから、また、ピッツバーグから連れ帰された。遂には、施設側もベイカーを探すのを断念し、16歳のときにはニューヨークに定着した。彼は労務者として、次いで皿洗いとして働いた。やがて26丁目の撞球場に出入りするようになると、彼は仕事をやめてフルタイムの玉突きいかさま賭博師となった。

19歳になったベイカーは、生活を変えることを決意する。彼は皿洗いに戻り、ジャズ・ミュージシャンになることを決意する。最初に選んだ楽器はトランペットだったが、14ドルしか持ち合わせのなかった彼は、質屋を探したものの、その金額で買えたのはギターだけであった[4]

彼は、ニューヨーク音楽学校 (The New York School of Music) に入学したが、学修の進度が遅いと感じた。やがて退学し、自学自習を始めたが、程なくして挫折してしまう。6か月後、彼は、とあるストリートミュージシャンのギタリストに出会い、演奏を再開するよう示唆された。彼は続く数年の間、何人ものギタリストの教えを乞いプライベート・レッスンを受け続けた。彼の音楽のスタイルは、サクソフォーン奏者チャーリー・パーカーに影響を受けている。

経歴

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1949年、ベイカーは自身のコンボを組みながら、いくつもの仕事を掛け持ちしていた。彼は、西海岸へ移ることを決意したが、当地の聴衆はプログレッシブな形態のジャズを受け入れないことを知らされる。ベイカーは、仕事もないままカリフォルニア州を彷徨い、そこでブルース・ギタリストのピー・ウィー・クレイトン英語版のショーを観た[5]。この出会いについて、ベイカーは次のように述べている。

俺はピー・ウィーに尋ねた。「つまり、ギターでこんな簡単なことができれば金になるって言うのかい?」何しろ奴はでっかい白のエルドラドを乗り回してて、バンドのためのどでかいバスも持ってた。そこで俺も、弦をベンドし始めた。俺は餓死しかけていて、当時の俺にとってブルースは単に金になる手段だった。

ベイカーは、カリフォルニア州リッチモンドでいくつか仕事を見つけ、ニューヨークへ戻れるだけの金を稼いだ[4]

東部へ戻ったベイカーは、サヴォイキングアトランティック・レコードへの吹き込みを始めた。そして、ドク・ポーマスドリフターズレイ・チャールズアイヴォリー・ジョー・ハンター英語版ルース・ブラウン,、ビッグ・ジョー・ターナールイ・ジョーダン, コールマン・ホーキンス、など数多くのミュージシャンたちとセッションをおこなった[6]

レス・ポール&メリー・フォード英語版の成功に刺激されたベイカーは、ギターの教え子の一人だったシルヴィア・ロビンソンと組んで、ポップ・デュオ、ミッキー&シルヴィア英語版1950年代半ばに始めた[5]。ふたりは1956年にはシングル・ヒット「Love Is Strange」を出した[5]1958年後半に、このデュオを解消した後、ベイカーは、キティ・ノーブル (Kitty Noble) と組んで、ミッキー&キティ (Mickey & Kitty) として活動した[7]。このデュオは1959年に、アトランティック・レコードから3枚のレコードを出した[8]1959年後半、ベイカーは、ソロ・デビュー作となるアルバム『The Wildest Guitar』をアトランティックから出した[9]。ミッキー&シルヴィアは、1960年に再結成し、その後も1960年代半ばまで散発的に、一緒に吹き込みを続けた[2]

この頃、ベイカーはフランスへ移住し、当地でロニー・バード英語版シャンタル・ゴヤと仕事をして、新たなソロのレコードもいくつか制作した[2]。彼は、その後、終生フランスにとどまることとなった。ベイカーは、仕事にあぶれるということは滅多になかった。自著のギター教則本用の演奏シリーズのほか、1970年代にはイギリスのレーベルであるビッグ・ベア・レコード英語版から2枚のアルバムをリリースしておりそのうちの1枚『Take A look Inside』は個人名義で、もう1枚は、伝説的なトロンボーン奏者ジーン・コナーズ英語版のサイドマンを務めたものであった[10]

ベイカーは、1975年ロスキレ・フェスティバルに出演した。

ベイカーは、私生活について多くを明かさなかったので、彼がフランスへ移住した理由は完全には明らかにされていない。メディアの言説の中には、ベイカーがアメリカ合衆国の商業音楽産業におけるビジネスの側面にうんざりしたのだとするものもあるが、別の言説によれば、公民権運動の高まりの中でアメリカ合衆国の南部ではヘイト・クライムの危険も大きくなっており、白黒混血であった彼は怒りの矛先を向けられやすかったのだ、ともいう。

私生活

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ベイカーは私生活を可能な限り明らかにせず、インタビューにもほとんど応じることはなく、公の場に姿を見せることも稀であった。フランスへ移り住んだ後は、彼はほとんどフランスを離れず、アメリカ合衆国へ帰国することはごく稀にしかなかった。

ベイカーは生涯に6回結婚した。バーバラ・カステリャーノ (Barbara Castellano) は、1950年代半ばから1970年代半ばにかけての妻であった。また、歌手マリー・フランス=ドレイ (Marie France-Drei) は、1980年代はじめからベイカーの死まで妻であった。

ベイカーには、息子 MacHouston, Jr. と、娘 Bonita Lee というふたりの子どもがいた。

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ベイカーは、2012年11月27日に、フランストゥールーズ近郊で、87歳で死去した[11][12]。妻マリーによれば、死因は心不全と腎不全であったという [3]

著作

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ベイカーが著した、自習用教則本のシリーズ『the Complete Course in Jazz Guitar』は、ギターを学び始める者をジャズの世界へと導く礎となっている。このシリーズは、出版から50年以上も市場にとどまっている。

受賞

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1999年、ベイカーは、リズム・アンド・ブルース・ファウンデーション英語版から、パイオニア賞 (the Pioneer Award) を贈られた。

2003年、ベイカーは、『ローリングストーン』誌の選ぶ「史上最も偉大なギタリスト100人 (100 Greatest Guitarists of All Time)」で、53位となった[13]

2004年、「Love Is Strange」は、グラミーの殿堂入りを果たした。

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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  • The Wildest Guitar (Atlantic, 1959)
  • Bossa Nova en Direct du Bresil (Versailles, 1962)
  • Mickey Baker Plays Mickey Baker (Versailles, 1962)
  • But Wild (King, 1963)
  • Bluesingly Yours with Memphis Slim (Polydor, 1968)
  • Mickey Baker in Blunderland (Major Minor, 1970)
  • The Blues and Me (Black and Blue, 1974)
  • Take a Look Inside (Big Bear, 1975)
  • Tales from the Underdog (Artist, 1975)
  • Mississippi Delta Dues (Blue Star, 1975)
  • Up On the Hill (Roots, 1975)
  • Blues and Jazz Guitar (Kicking Mule, 1977)
  • Jazz Rock Guitar (Kicking Mule, 1978)
  • Sweet Harmony (Bellaphone, 1980)
  • Back to the Blues (Blue Silver, 1981)
  • The Legendary Mickey Baker (Shanachie, 1991)
  • New Sounds (Legacy, 2015)

サイドマンとして参加

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コレット・マグニー英語版のアルバム

  • Melocoton (CBS, 1963)
  • Frappe Ton Coeur (Le Chant du Monde, 1963)
  • Colette Magny (Le Chant du Monde, 1967)

その他

脚注

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  1. ^ a b Colin Larkin, ed (1995). The Guinness Who's Who of Blues (Second ed.). Guinness Publishing. p. 20. ISBN 0-85112-673-1 
  2. ^ a b c Unterberger, Richie (1925年10月15日). “Mickey Baker - Music Biography, Credits and Discography”. AllMusic. 2012年11月27日閲覧。
  3. ^ a b Weber, Bruce (30 November 2012). “Mickey Baker, Guitarist, Is Dead at 87”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2012/11/30/arts/music/mickey-baker-guitarist-whose-riffs-echo-today-dies-at-87.html?_r=0 2014年5月21日閲覧。 
  4. ^ a b Liner notes for The Legendary Mickey Baker by Stefan Grossman
  5. ^ a b c Russell, Tony (1997). The Blues - From Robert Johnson to Robert Cray. Dubai: Carlton Books Limited. p. 89. ISBN 1-85868-255-X 
  6. ^ Mickey Baker (1925年10月15日). “Mickey Baker - Credits”. AllMusic. 2012年11月27日閲覧。
  7. ^ “New York Beat”. Jet: 64. (April 2, 1959). https://books.google.com/books?id=kkEDAAAAMBAJ&q=Mickey+Baker+jet+1959&pg=PA64. 
  8. ^ “The Billboard Spotlight Winners of the Week”. Billboard: 76. (April 20, 1959). https://books.google.com/books?id=VyEEAAAAMBAJ&q=mickey+sylvia+billboard+1959&pg=PA76. 
  9. ^ “Reviews and Rating of New Albums”. Billboard: 57. (December 7, 1959). https://books.google.com/books?id=5QcEAAAAMBAJ&q=mickey+wildest+guitar+billboard+1959&pg=PA57. 
  10. ^ Wirz, Stephen. “Illustrated Big Bear Records Discography”. 2023年2月17日閲覧。
  11. ^ Doc Rock. “The Dead Rock Stars Club 2012 July To December”. Thedeadrockstarsclub.com. 2012年11月27日閲覧。
  12. ^ “Décès du guitariste de jazz Mickey Baker” (フランス語). L'Express. (27 November 2012). http://www.lexpress.fr/culture/musique/deces-du-guitariste-de-jazz-mickey-baker_1192423.html 27 November 2012閲覧。 
  13. ^ 100 Greatest Guitarists: David Fricke's Picks: Mickey Baker”. Rolling Stone (2010年12月3日). 2012年11月27日閲覧。

外部リンク

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