マルコム・ヤング
マルコム・ヤング | |
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基本情報 | |
出生名 | Malcolm Mitchell Young |
生誕 |
1953年1月6日 スコットランド、グラスゴー |
死没 | 2017年11月18日(64歳没) |
ジャンル | ハードロック, ヘヴィメタル, ブルースロック |
職業 | ミュージシャン, 作曲家, プロデューサー |
担当楽器 | ギター, ヴォーカル |
活動期間 | 1973年 -2014年 |
レーベル | EMI, エピック, アトランティック |
共同作業者 | AC/DC |
公式サイト | www.acdc.com |
著名使用楽器 | |
1963 Gretsch Jet Firebird Gretsch MY1 Signature model |
マルコム・ミッチェル・ヤング(Malcolm Mitchell Young, 1953年1月6日 - 2017年11月18日)は、スコットランド グラスゴー生まれ、オーストラリア シドニー育ちのギタリスト。AC/DCのリズムギタリストとして知られている。同バンドのアンガス・ヤングは弟。デビュー当時から、グレッチのギターを愛用している。
経歴
[編集]デビュー前
[編集]マルコムの両親、ウィリアム(1911〜85)とマーガレット(1913〜88)は1963年にスコットランドのグラスゴーからオーストラリアにジョージ、マーガレット、マルコム、アンガスの4人の子供を連れて移住した。長兄のアレックス(後にバンド、グレープフルーツを結成した)はイギリスに残された。一家はバーウッドの郊外に居を構えた。
ジョージ・ヤングが結成したバンド、イージービーツはオーストラリアで1965年から68年にかけて数多くのナンバー1ヒットを放ち、「Friday On My Mind」で世界的な成功を収めた。
マルコムはニューカッスルで「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」(ニューヨーク出身の有名なバンドとは同名の異なるバンド)というバンドに加わる。バンドはT・レックスやローリング・ストーンズのカヴァーを主に行った。
アンガスは「カンタッキー」という別のバンドに加入した。
AC/DC
[編集]マルコムとアンガスは、1973年11月にAC/DCを結成した。当時マルコムは20歳、アンガスは18歳であった。1974年に、彼らは初代ヴォーカリストのデイヴ・エヴァンスと共に世界ツアーを行う。
1976年に、AC/DCの活動拠点をイギリスに移し、世界ツアーおよびアルバム制作の過密なスケジュールをこなし始めた。しかし1980年、ヴォーカリストのボン・スコットが死亡、彼らは後継のヴォーカリストとしてブライアン・ジョンソンを迎える。ブライアンを加えて制作されたアルバム『バック・イン・ブラック』は世界中で爆発的なヒットとなった。
マルコムはアルコール依存症のため、1988年のツアーには不参加であった。しかしながらこの事実は隠され、公式には息子の病気のためツアーに参加しなかったとされた(息子は実際に病気であった)。マルコムはその後アルコール依存症を克服し、バンドに復帰した。マルコムの不在時、彼の甥であるスティーヴィーが後任としてバンドに参加した。
2014年4月、AC/DCはマルコムが休養すると告知。後に、今後バンドへ復帰することはないと発表した。ほどなくしてマルコムが認知症を患っていると報道され、家族もそれを認めた[1]。
晩年
[編集]2017年11月18日に64歳で死去[2][3]。次兄のジョージ・ヤングが亡くなった一か月後であった[4]。
脚注・出典
[編集]- ^ “AC/DC、マルコム・ヤングの家族が病名を公表”. ジャパンミュージックネットワーク. (2014年10月1日) 2017年11月19日閲覧。
- ^ “AC/DC co-founder dead at 64”. NewsComAu 2017年11月18日閲覧。
- ^ “「AC/DC」ギタリスト マルコム・ヤング氏死去 64歳”. スポーツニッポン. (2017年11月18日) 2017年11月19日閲覧。
- ^ “AC/DCヤング兄弟の実兄でプロデューサー、イージービーツのギタリストのジョージ・ヤングが死去”. Udiscovermusic (2017年10月24日). 2024年8月1日閲覧。